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教会暦の説教

教会暦の説教

 教会暦に従った説教です。今年は「B年」で、マルコによる福音書及びヨハネによる福音書が中心に選ばれます。毎週主日(日曜日)に更新しています。

2024年3月:四旬節第4主日(3月10日)〜四旬節第3主日(3月3日)

【四旬節第4主日:3月10日】

 

        もうしばらくお待ちください。

 

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【四旬節第3主日:3月3日】

 

              「イエスの宗教批判」
             (ヨハネ2:13〜22)

 

   神殿から商人を追い出すこと    
 今日は、イエス様がエルサレムの神殿の境内に入ったところ、そこで両替人や燔祭に献げるための動物や鳩などを売る商売をしていたのを見て、両替人の台をひっくりかえされたという出来事でした。
 どの福音書にも書いてあることですが、私たちが頭に浮かべることは、イエス様が怒りを露わにされた理由は、神聖な神殿で金もうけをするための商売が行われていたことを止めさせるためであったということです。例えば、マタイによる福音書には、「『私の家は、祈りの家と呼ばれる』べきなのに、それを強盗の巣にしている」(マタイ21:13)とありますが、これはそれを示しています。ですから、神殿の中で商売が、目に余る金儲けがなされてた、その不正に対する粛正であったわけです。それが神殿の出来事で私たちが抱くことです。

 

   他の福音書との違い  
 ところが、今日のヨハネによる福音書に書かれてある出来事は、私たちがこの出来事から思い浮かべることとは随分と異なります。イエス様が怒りを露わにされた理由は、神聖な神殿の中で商売や目に余る金儲けが営まれていたからでした。ところが、今日の話ではそうではありません。では、イエス様の怒りの理由は何であったのか、それが今日のもっとも重要なポイントになるのです。
 イエス様が両替人の台をひっくり返し、金をまき散らされたことは同じです。しかしそれだけでなく、「羊や牛をすべて境内から追い出した」(15節)と書いてあったことは他の福音書にはないことです。羊や牛に罪はなかったはずです。それを利用して、私腹を肥やそうとしていた両替人たちが問題だったはずですから、家畜までも境内から追い出す必要はなったのではないでしょうか。

 

   神殿が崩壊しても  
 ですから、神殿での不正の話ではないのです。それなら、金儲けをしていた両替人たちを追い出すことで解決したはずです。境内にいた羊や牛を追い出す必要はなかったのです。でもそうではありませんでした。羊や牛が燔祭として捧げられる必要がなかったからです。
 さて、今日の福音書から、何が学べるのかと考えました。二つのことではないかと思いました。私たちには、宗教というものには欠かすことのできないものとして、二つのことがあると刷り込まれているものがあります。一つは「儀式」です。それぞれに独特の儀式があります。二つ目は「建物」です。どの宗教にも立派な建物があります。この二つは欠かせないものだと疑いを持ちません。
 でも今日のイエス様のなさったことは、それを否定されたのです。そういうどの宗教も欠かせないと主張している、それを批判されたと言っても良いのです。
 そこでまず「儀式」とは何か、これが問題です。それが燔祭でした。このギリシャ語から「ホロコースト」という言葉が生まれたのです。自分の罪を神様に赦していただくための肩代わりとして羊や牛、あるいは鳥を燔祭として献げて来たのです。それがユダヤ教の重要な儀式でした。しかしイエス様は、それを必要ないものとされたのです。イエス様の十字架がそれを担うからです。
 私たちの教会でも「献金」というものを行います。これも儀式のひとつです。燔祭として献げる思いは私たちは持ちませんが、これは「神様に、自分の足りない所を、あるいは罪を赦してもらうことを願いつつ、献げることがあるのかもしれません。しかしそうではありません。「感謝」の献げ物なのです。

 

   あるラビの話  
 二つ目が「建物」のことです。エルサレムの神殿は紀元70年に崩壊したと言われています。ローマの軍隊によって破壊されたのです。同時に、ユダヤの国も滅んでしまいました。イエス様が復活されて天に昇られてから40年近くが経っています。このヨハネの福音書だけではありませんが、他の福音書が編集された時には、もうこの事実を知っていたと言われています。今日もイエス様が「この神殿を壊してみよ」と言われたと書いていましたが、実際の壊されてしまったことを知って、この福音書が書かれた、あるいは編集されたと言われています。
 神殿が崩壊し、ユダヤの国も滅ぼされてしまうときに起こった有名な話が語り継がれています。こういう話です。ユダヤ教の宗教的指導者をラビと言いますが、高名な一人のラビが、神殿もエルサレムの町もユダヤの国もローマによって滅ぼされることを悟って、その時のローマの司令官に―その人は後に皇帝になったそうですが―面会を申し出て、ひとつのことを願い出たのです。それは「ユダヤ人のために小さな学校を一つだけ残してほしい」と、それも「たった十人の学生が入るだけの小さな一部屋の学校でよいのです」と申し出たのだそうです。
 なぜ10人という人数を願ったのかと言いますと、ユダヤ教の規定では10人の男が集まれば礼拝する場所として認められたからです。それをシナゴグと、聖書の中でも「会堂」という言葉がよく出てきますが、神殿が滅んでも、シナゴグという会堂があれば、大丈夫だとラビは考えたのです。事実、それがあったから神殿は滅んでも、また国は滅んでも、彼らは残り続けたわけです。そこで学問ができ、トーラーという私たちで言う旧約聖書も学べたからです。神殿という建物がなくなっても、それがあれば十分である。実際に彼らはそれで生き延びて来たのです。
 今、パレスチナの地で起こっている戦争を見ると、この話を聞いても複雑な思いがしますが、でもそれは彼らの信仰であり、知恵だったのです。

 

   神殿とは体のこと 
 ただ、今日のイエス様の教えはそういうことかと言いますと、もちろんそうではありません。「この神殿を壊してみよ」と言われたのですが、神殿という建物が滅んでも、亡くならないものがある、それを言いたいのです。ただし、それはシナゴグ、会堂のことではありません。こう書いてありました。「イエスはご自分の体である神殿のことを言われたのである」(21節)と。
 私たちは「神殿」というと建物のことを当然頭に浮かべます。ところがそうではなく「イエス様ご自身の体のことである」と福音書は教えているのです。ただ、そう言われても実感としてそれを受け取れないところがあるように思います。
 ですから、一つの例を挙げてみましょう。都南教会では今三つの「聖書を読む会」を開いていますが、その一つでは「使徒言行録」を読んでいます。今月は16章を読みますが、その次の17章に、パウロたちがギリシャのアテネで宣教するところが出て来ます。ギリシャの国ですからギリシャ神話にあるような神殿があったようで、ですから祭壇もあったのです。そこに「知られざる神に」と刻まれていたのです。それを見てパウロがこう言うのです。
 「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、人の手で造った神殿などにはお住みになりません」と(17:24)。
 そしてさらに、「神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません」(17:27)と言うのです。

 

   教会は建物ではない  
 二つのとても重要なことが語られています。まず、神様は「人の手で造った神殿などにはお住みになりません」ということです。これはギリシャの神殿だけをいっているのではないと思います。エルサレムの神殿でも同じです。いや、私たちの教会のこの礼拝堂であっても、それがただ建物だけを言っているのであれば、パウロが言った「人の手で造った神殿など」の一つになり兼ねないのです。
 ですから、私たちのルーテル教会では「教会とは何か」と言うときに、例えばどこかを旅行して十字架の付いた建物を見つけると「あっ、教会がある」というような言い方をしないのです。もちろん私も知らない地の風景で十字架のある建物を見つけると「教会だ」と言います。それで何も問題ありませんが、しかし、例えば那須高原をドライブしているときに、十字架のついた結婚式場を見たことがありました。それを「教会だ」とは言わないはずです。教会と似た十字架の付いた建物でも、教会ではありません。結婚式場でしかありません。
 どこに違いがあるのでしょうか。結婚式場には「信徒の群れ」がいないからです。その信徒の群れによるまことの礼拝も行われていないからです。説教があるわけではないし、聖餐式があるわけでもありません。信仰を持つ人たちがいて、そこで礼拝が行われているところを「教会」と言うのです。これが私たちルーテル教会の基本的な考えです。建物は、それに付随する形であると言うべきなのです。
 教会と言えども人の手で造った建物ですから、その建物だけに拘り、あるいは建物の大きさやによって教会の優劣や格が違うようなことを考えてしまうならば、それは残念ながら的を外しているのです。
 ある有名が神学者が「キリスト教は本来宗教ではない」という言い方をして人を驚かせたのですが、その人の言いたかったことは、キリスト教と言えども、的を外したことを言い始めたときには、それはいわゆる人間の考えた、ある教祖が考え出した宗教と変わらないものになってしまうということです。それはいくら「キリスト教だ」といっても、的を外しているのですから、その神学者は批判したのです。今日のイエス様も神殿にこだわる宗教を批判したのと同じなのです。

 

   神は近くにいます  
 二つ目は、「神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません」とパウロが言ったことです。「神は遠く離れていない」と言うのですから、神様は近くにおられるということです。いやそれどころか、パウロは「私たちは生ける神の神殿なのです」(Uコリント6:16)と言った人です。近くにおられるどころか、「神様が私たちの中に住んでくださる」、あるところでは「神の霊が自分の中に住んでいる」、またあるところでは、私たちの教会の年間主題聖句にある「あなたがたの内にはイエス・キリストがおられる」と言っています。
 神殿でもない。厳密に言えば礼拝堂でもない。私たちの中に神が住んでくださっているのですから、それを信じるのが信仰者であり、キリスト者なのです。それが私たちです。このことをしっかりと押さえておくのです。それを前提として、私たちに与えれたこの建物、この礼拝堂という建物に集まって、こうして礼拝を献げるからこそ、ここに神様がいらっしゃると言うべきなのです。それを「教会」と呼ぶのです。このことを忘れずに、この礼拝堂に次週も集う者でありたいと思います。 アーメン

 

2024年2月:四旬節第2主日(2月25日)〜顕現後第5主日(2月4日)

【四旬節第2主日:2月25日】

 

            「それぞれの十字架のために」
             (マルコ 8:31〜38)

 

   叱り合う二人   
 イエス様はご自身の十字架が近づいて来たときに、三回の予告をされました。その一回目の十字架の死と復活の予告について書かれたあったのが今日の箇所でした。突然そのことを弟子たちに話されたものですから、弟子たちのリーダー的存在であったペトロは、イエス様を脇へお連れして、イエス様を「いさめ始めた」(32節)のです。「いさめ始めた」というのはかなり控えめに訳した言葉のようでして、むしろ「非難しはじめた」とか「叱りつけた」というような強いニュアンスをもった言葉のようです。
 それを受けて今度はイエス様の方がペトロを「叱って言われた」と書いてありましたが、ペトロがイエス様を「いさめはじめた」と訳してある言葉と元もと同じなのです。ですからお互いが「叱りつけた」というような、まるで二人が喧嘩をしているような感じさえするのが、今日の話で起こってしまったことでした。それほどまでに弟子たちは驚き、ペトロもイエス様の予告をすぐに受け入れることができなかったのです。
 その後にイエス様が弟子たちだけでなく、群衆をもわざわざ「呼び寄せて言われた」と書いてありましたが、その言葉が今日の中心となる言葉でした。

 

   殉教の勧めか?   
 さてその言葉ですが、まず目に付く言葉がありました。「命」という言葉です。実に今日の箇所だけで(35節以下ですが)5回出て来ました。細かく言うとさらに数え上げることができるほどに「命」のことがたくさんできて来ますので、この言葉が今日のイエス様の教えの中心であることは明らかです。「自分の十字架を背負って」という言葉ももちろん大事ですし、そのことは後で触れなければなりませんが、その「自分の十字架を背負う」ということも、それは自分の「命」に係わることなのです。ですから「自分の命」のことにまず目を向けて行きたいのです。
 そこでまず35節の言葉をもう一度読んでみましょう。
「自分の命を救おうと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために自分の命を失う者は、それを救うのである。」
 まずここだけを読むと、自分の命を失うことを勧めているように感じます。自分の命を救おうと思う者はそれを失うけれども、イエス様と福音のために自分の命を失う者はそれを救うと言われるのですから、殉教の勧めをされているように聞こえます。イエス様のために、福音のために自分の命を失った殉教者が聖書の世界にも、またいつの時代も、どの国の歴史の中にもいたことは皆さんもご存じの通りです。しかしそういう殉教の勧めがここで語られているとすれば、実に過酷な、誰も真似もできないようなことをイエス様が命じていらっしゃることになります。

 

   一筋縄ではない言葉   
 ただ、次の36節を読みましょう。こう書いてあります。
 「人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。」
 ここに来ると、どうも話がつながらないのです。今35節から「殉教の勧めをされてる」と言いましたが、ここでは「自分の命を損なうなら、何の得があろうか」と言われています。殉教は自分の命を損なうことですから、そんなことをして「何の得があろうか」と言われていることになりますから、どうも殉教の勧めではないようにここに至って思えて来るのです。しかも次の37節では
 「人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか」
と言われていますので、益々混乱してしまうようなことが書かれてあるのです。困ったことです。

 

   ルターの翻訳   
 ではどう読んで行けば良いのか悩ましいのですが、ここでもマルティン・ルターの助けを借りようと思うのです。と言っても、ルターがこの箇所を巡って説教を残しているのではありませんが(あるかどうかも確認できなかったのですが)、しかしルターの残したドイツ語の聖書の言葉について教えられる気がするのです。
 そのことを語る前に、少しだけ前置きをしなければなりませんが、ルターと言う人は、聖書の翻訳において実に大胆な訳をしたことで知られています。例えば「宣教する」とか「宣べ伝えた」いう言葉が新約聖書にはよく出て来ます。先週読みましたところにも(1:14)「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて」云々という所がありました。その「宣べ伝えて」というところを「説教して」という言葉に訳しました。「宣教する」というのも「説教する」という言葉にほとんど置き換えています。「説教する」ですから、礼拝で「説教する」ということになりますから、狭い意味になってしまします。宣教はもっと広い意味があるじゃないか、と批判されることがあります。その批判がきっと正しいのです。でもそれだけ「説教する」ということをルターは大事にしたのです。
 そういう大胆さがルターの魅力であり、また問題もはらむのですが、今日の「命」という言葉も実に大胆な言葉に置き換えているのです。今日の「命」という言葉は全部元もとの言葉は同じ言葉ですから「命」という言葉に統一して訳さなければならないのです。それが基本だと思いますが、ルターも35節は「命」という言葉に訳したのですが、ところが36節と37節は「魂」という言葉にしたのです。

 

   命と魂   
 すこし込み入った話をしましたが、でも「命」と「魂」というものはどこか違うものではないでしょうか。「命」とは私たちの生活とか人生というものとも言えるものです。例えば誰でも、自分の生活のために、あるいは自分の命や家族の命を維持し、守るために懸命に働いているはずです。それは当然であり、当たり前のことです。ですから、それをイエス様が咎めているのではないと私は思うのです。でもそれだけを追い求め、生活するためだけにすべてを使い果たすときに、たとえ真面目に働いたとしても、自分の生活を守りたいと、自分と家族の命を救いたいと熱心になったとしても、実に残念なことですが、見失うものがあるのではないでしょうか。それをイエス様は言われているのではないかと私は思うのです。もう一度35節を読んでみましょう。
 「自分の命を救おうと思う者は、それを失うが」とは、今言ったことです。それを失うとは、神様から与えられている「命」のことです。創世記にある「人は、神様の命を息を吹き入れられることによって生きる者になった」というその「命」のことです。それを忘れ、それを見失ってしまっているのです。そういう「命」のことをルターは「魂」という言葉で区別したのです。
 次の36節をもう一度読みましょう。
 「人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。」
 人が一生懸命に働いて、生活の糧を得て、自分の生活も家族の生活も、命をも手に入れたとしても、「自分の魂を損なうなら」と、ここでルターは普通に語る「命」のことではなく、神様から与えられた貴い命のことだと理解したのです。だから「魂」という言葉にしたのです。私はとても納得のゆく読み方ではないかと思うのです。

 

   自分の命を捨てる?    
 さて、今日の本題である言葉に注目いたしましょう。34節のイエス様の言葉です。
 「私に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」
 この言葉をどう受け取れば良いのでしょうか。ここでも「自分を捨て」という厳しい言葉がどうしても目に付きます。「自分の命を失う者」という「殉教の勧め」の言葉と同じような響きがあります。でもそのように厳しさだけを受け取る必要はないのです。それは先ほども学んだことですが、「自分を捨てる」とは命を捨てることでも、自分という掛け替えのない存在を否定するように命じているのでもないのです。
 ただ、私たちはどうしても自分の命を自分で救おうとし、自分と自分の家族の生活や人生そのものを自分で守ろうとするし、そうしなければなりません。先ほども述べた通りです。しかしその自分が見失ってまっていることがあることに、気づかずにいる自分でもあり得るのです。そういう自分を否定するのです。目を覚ますのです。本来の自分に立ち帰るのです。

 

   自分の十字架   
 そして「自分の十字架を負って、私に従いなさい」と言われました。「自分の十字架を負う」、このことも容易ならぬことをイエス様が命じていらっしゃるように聞こえるはずです。確かにそうかもしれません。しかしここでイエス様が「自分の十字架を負う」ようにと言われていることはとても重要なことだと思います。「十字架」と言っても、「他者の十字架を負う」という意味も当然あるからです。
 今日のイエス様の教えは、「他人の、あるいは隣人の十字架を負いなさい」という命令からすれば、どこか不十分で、どこか大目に許されているような響きがあるようにも感じられるのです。しかしそうではないと私は思うのです。それで良いのだ、という赦しの言葉に思えるのです。

 

   「それからすぐに」という言葉 
 最後にもう一度ルターの説教に助けを得たいのです。私が直接ルターの説教を読んだのではありません。ある注解者の解説を語りたいのです。ルターはこう言っているだそうです。
「自分の十字架を負うようにと言う主イエスのお言葉を聞いて、私の十字架はどこにあるのかと探す必要はない」と。
 つまり、周囲を見回したり、どこか遠くにある他者の重荷を担おうとする必要はない。自分自身の足下に、自分の日々の生活の中にあるのではないかとルターは言いたいのです。まさにそれぞれの十字架が、自分の生活の中にあるのです。足下にあるものがきっと「自分の十字架」なのです。いやもっと言うと、自分にはどうしようもない、解決のしようがない過酷なものなのかもしれません。ある人は十字架とは「逃れることのできない現実」だと言うのです。
 それが自分の十字架である。厳しい言葉です。しかし私たちが忘れてはならないイエス様の言葉があります。私たち自身がそれぞれに負うべきものですが、それをイエス様が共に背負ってくださっているという事実です。そのことに気づかなければ過酷過ぎるのです。しかし逆に、それに気づくならば、「その荷は負いやすく、軽くなる」(マタイ11:30)という言葉がきっと励ましの言葉になって迫って来るにちがいありません。
 そのような新しい一週間が祝福されますようにお祈りいたします。 アーメン

 

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【四旬節第1主日:2月18日】

 

            「試練が意味を持つとき」
             (マルコ 1:9〜15)

 

   「それからすぐに」という言葉  
 今日から四旬節の主日が始まりました。6回の礼拝を数えることになります。今日の福音書は、イエス様がサタンの試みをお受けになった出来事が中心であろうと思いますが、なぜか以前読んだところももう一度読むようになっていました。
 9節から11節のイエス様の洗礼の話は、1月の最初の礼拝で読んだところでした。「主の洗礼」という教会の暦の日です。ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、また今日も同じ所を読むのはややおかしな感じが否めませんが、でもそれにはやはり意味があるのです。
 そこでまず注目したい言葉がありました。12節の「それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった」という言葉です。特に「それからすぐに」という言葉に少し留まりたいのです。「それからすぐに」と言うのですから、その前に何が、どんな出来事があったのかが重要になります。するとその前にイエス様がヨハネから洗礼をお受けになったということが書いてあるわけです。
 洗礼をお受けになったときに、「天が裂けて、霊が鳩のようにご自分に降って来るのを御覧になった」と書いてありましたので、洗礼は聖霊がイエス様に降りて来た出来事であったということを私たちは思い起さなければなりません。イエス様が洗礼をお受けになった。「それからすぐに、イエスに降って来た聖霊が、イエスを荒れ野に追いやった」と、洗礼の出来事と荒れ野のサタンの試み、誘惑には、実に深い関係があることを、今日の福音書は強調しているのです。それをしっかりと味わい、受け取らなければなりません。

 

   「それからすくに」と「さて」
 なぜかと言いますと、「それからすぐに」という言い方をするのはこの福音書だけだからです。では他はどう書いてあるか確かめますと、マタイによる福音書も同じようにイエス様の洗礼を話しがあって、その次に続けて悪魔の試みの話を書いています。そこまでは同じです。でもその書き出しは「さて」となっています。ルカの福音書も同じように「さて」と書き始めています。
 やや細かいことを言っているように皆さんはお感じになるかもしれませんが、でも書き出しの言葉の違いで随分と意味が違って来るということを教えてくれる、実に良い例だと私は思うからです。「さて」となると、前に起こった話を敢えて打ち切るときに使います。説教をするときも「さて」と言いますと、「これまでの話題を変える」という意味です。ですから、洗礼の話が一段落して、違う話に移るときに「さて」とわざわざ言うはずです。しかしそれと全く逆に、「それからすぐに」となると、洗礼の話が次の話に繋がっている、続いているということを強調したいのです。ですから、同じ出来事を語りながら、しかしその言いたいことは福音書によって随分と異なるのです。

 

   三年周期の目的 
 なぜこの一言にこだわるのかと言いますと、私たちのルーテル教会が、礼拝で読まれる福音書が三年周期で変わって読まれることの意味、目的に繋がるからです。三年周期というのはご存じのように、昨年はマタイによる福音書、今年はマルコ福音書を、来年はルカによる福音書をと言うように、三年間で一周して、三つの福音書をぐるぐる回して繰り返して行く読み方です。ヨハネの福音書はその都度挿入されていますが、要は、それぞれの福音書を読むことで、イエス・キリストの教えやご生涯を四つの角度から読みたいのです。それがより本当のイエス様の教えにきっと触れることになるはずです。ですから、それぞれの福音書に書かれてあることをできるだけ丁寧に読むことが大事だと私は思うのです。そうしないともったいないような感じがするからです。
 ただ、このマルコによる福音書にはクリスマスの物語が何も書いてありませんので、そういう場合には他の福音書の助けを借りるしかありませんし、余りにも簡素な書き方をしている場合にも、他のところを読んで穴埋めしなければならないことがあります。でも、今日のサタンの試みの話を、例えばマタイによる福音書に書いてある、空腹を覚えられたイエス様に向って「この石をパンになるようにめいじたらどうだ」と悪魔が誘惑したときに、イエス様が「人はパンだけで生きる者ではない。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と言われたという有名な話をすぐに持ち出しますと、もうそれで今日の話は終わってしまうように私には思えるのです。それでは今日の話を読んだことにはなりません。

 

   キリスト者ゆえの誘惑 
 では、今日の福音書から何が学べるのでしょうか。この福音書はサタンなる悪魔がイエス様を誘惑し、試みたのは、洗礼をお受けになったそのすぐ後の事だったと強調していました。ですから、洗礼と誘惑とはつながりを持っているということを言いたいのです。「洗礼を受けた」ということは、それはキリスト者の事だとも言えるのではないでしょうか。ですから、ここにいる私たちも悪魔の誘惑というものから逃れられないということを言いたいのだと私は受け取ったのです。
 日本語に「魔が差す」とか「悪い人から甘い誘惑を受けてはいけない」などという言葉を耳にすることがあります。これは誰にも言える言葉です。悪魔は誰をも誘惑しているし、事実悪魔の誘惑に陥っているとしか思えないような出来事を毎日目にしていないでしょうか。そういう悪魔の誘惑が確かにあるように感じるのです。
 しかし今日私たちが受け取りたいのは「洗礼を受けたからこその試みがある」、「キリスト者だからこその誘惑がある」ということです。しかし、どんな試みや誘惑というものがあるのか、この福音書は何も書いていません。ですから、ここではマタイによる福音書やルカによる福音書に書かれてある誘惑の一つひとつに目を向けるしかありません。

 

   イエスに仕える者たち
 ただ、その具体的な悪魔の誘惑について今日の福音書は書いていないのですが、しかしもうひとつこの福音書だけが記していることに再び注目しなければなりません。「イエスは40日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた」(13節)とありました。二つのことです。野獣がイエスと共におられたということと、天使たちがイエスに仕えていたと書いてあることです。
 この「野獣」のことですが、新しい聖書に代わってこれまでと違う訳になりました。これまでの聖書は「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」となっていました。「野獣と一緒におられた、しかし天使たちが仕えていた」と言うのですから、野獣は人間にとって危険な動物だというある意味の偏見をもって訳したのです。しかし今回はその「が」という言葉を取りました。こちらが元もとの言葉のようですが、聖書を訳す人も迷うところだったのでしょう。
 でも今日読んでいただいた創世記9:8〜17はノアの箱舟のところでしたが、皆さん気づかれたでしょうか。「獣」という言葉が二回も出て来ました。しかも神様がノアの家族と子孫たちと「もう大洪水で滅ぼされることはないという契約を立てた」という話でした。そのしるしとして雲に虹が表れたという有名なところでしたが、ここにはノアの家族だけでなく、あらゆる動物、鳥も、そして獣も滅びることがないという契約を立てたと書いてありました。
 例えば今温暖化で動物が危機に瀕していると言われます。北極の白熊が、南極のペンギンが危機に瀕している。世界中の動物が危機に瀕している。それは人間が起こしていることに原因があります。だから神様の約束を人間が破っているのです。
 その他にも野獣の話が旧約聖書にはたくさん出て来ますが、もう一つ触れたいところがあります。ダニエル書に、ライオンのいる洞穴にダニエルという預言者が放り込まれたのに、何ともなかったという話があります。なぜ無事であったのか、その理由をこう書いていることはとても重要です。6章ですが、二つのことを書いています。一つは「私の神が御使いを遣わしてライオンの口を塞いでくださったので、私に危害を加えませんでした」(6:23)という言葉です。今日のイエス様に繋がる言葉です。それだけなく、もう一つ「自分の神を信頼していたからである」(6:24)と書いています。
 一つは神様の助けです。御使いを使ってダニエルを助けたのです。神様の働きかけです。しかしそれだけではないのです。その「神様の助けを信頼するダニエルの信仰」です。この二つがあったからこそ、ダニエルは数々の試練を乗り越え、そしてその試練の体験が彼の生涯を支えることになったのです。

 

   試練の中でも仕えた天使たち 
 今日の福音書に戻りますが、先日の礼拝でも「天使たちが仕えていた」という言葉について触れました。マタイの福音書は、イエス様が40日間の荒れ野での誘惑を斥けられた後で、悪魔との戦いに勝利されたことを祝うかのように天使たちがイエス様に近づいて仕えるのです。随分と異なるように私には思えるのです。イエス様ご自身が神の子として、ご自分の力で誘惑を斥けられた、そういう描き方です。
 しかし今日の福音書では、サタンの誘惑の間中、天使たちが仕えていたと書くのです。野獣たちもそうだったのかもしれないような書き方です。神の子イエスよりも、私たちと変わらないような人間イエスの試練を書くのです。ご自分の力と言うよりも、天使たちの助けをいただいたからこそ、試練を乗り越えられたことを強調しているように思えないでしょうか。だからこそ私たちは、この福音書から学べることがあるように思うのです。
 私たちキリスト者は、キリスト者であるがゆえの「試み」というものを体験することが確かにあるのです。しかしそれだけが強調されるなら、余計な試練であり、何か損をするような印象さえするのです。それはサタンの試みというものが単なる「誘惑」に終わっている意味に受け取ってしまっていることになります。そうではありません。「試練が意味を持つ」、いや何かの意味を与えるものがあることを信じなければならないのです。
 最後に、このことを教えているローマ書の言葉を聞きましょう。5章3節からの言葉です。前の聖書の言葉からです。

 

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

 

 私たちの試練もこれと同じではないでしょうか。試練の中にあっても霊が導いているのですから、その聖霊が私たちを導き、そしてダニエルと同じように、そして今日のイエス様と同じように、神の御使いたちが助けてくれるのです。それだけではありません。神様の助けを信頼する自分自身の信仰が支えるのです。
 今日のマルコによる福音書の教えを留め、この一週間を過ごして参りましょう。 アーメン

 

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【主の変容:2月11日】

 

                「輝く姿を隠す方」
               (マルコ 9:2〜9)

 

   高い山 
 今週水曜日から暦は四旬節に入ります。3月31日のイースターまで、主イエスの十字架を覚えて行きますが、今日は「主の変容」の主日です。福音書もその箇所でした。
 まず注目することは「高い山に登られた」とあることです。どの山か書いてありませんので分からないのですが、以前は「タボル山」ではないかと言われていたそうです。タボル山はガリラヤ湖から南西に14・5キロのところにあるようですが、300メートル足らずのむしろ低い山です。八王子にある高尾山が600メートルほどですから、その半分です。それを「高い山」と言うのは、やや首を傾げざるを得ません。ですから最近は、ガリラヤ湖から北東に60キロほど行ったところに「ヘルモン山」という山がありますが、ここが2800メートル余りあるようですから、ここなら「高い山」と呼ぶことは理解できるのです。白い山とか白髪の山とも呼ばれるそうですから、雪深い標高の高い山であることが分かります。

 

   イエスの真の姿  
 ただ問題は、なぜそれほどの高い山に登られたのかということです。すると、イエス様と一緒に登った三人の弟子たちの前で「イエスの姿が変わり、衣は真っ白に輝いた」と書いてありました。「この世のさらし職人の腕も及ばぬほどだった」と、その衣の輝きがこの世のものとは思えないほどだったことを強調していました。栄光に満ちた姿に変容されたのです。それが今日が「主の変容」と呼ぶ暦の所以と言えるわけです。
 ですから問題とは、この変容された姿こそがイエス様の真の姿であって、山を下りたいつもの平地でのお姿はいわば「真の姿が隠された」そういう姿であることを言いたいのだと思います。山に登ると、特に2000メートルを超えるような山に登ると、登れば登るほど空気が変わり、気温も低くなりますから、平地とは異なる世界がそこに広がって行く感じがします。ヘルモン山もきっと同じでしょう。そこで、平地とは異なるイエス様の姿が表れたのです。これがイエス様の本来の姿であったと言いたいのです。
 その山には旧約聖書に登場するエリヤとモーセも現れました。今日読んでいただた旧約聖書の列王記下2章にはエリヤが登場しました。エリヤの最後がとても印象的で、有名なところでした。火の戦車と火の馬がエリヤを載せて天に上って行ったのです。モーセも同じですが、二人とも最後にどこに埋葬されたのか分からないのです。ですから神秘に満ちている。いつしかイエス様の時代まで、ユダヤ人たちにとってはいつか必ず再臨する指導者、預言者として言い伝えられていたのです。そのモーセとエリヤが高い山で姿を表したのです。
 三人は「語り合っていた」と書いてありましたが、何についてであったかはここには書いてありません。しかし山を下りてこれから歩まれる十字架のこと、そして三日目に復活されることについて彼らが語り合っていたことは間違いないのです。

 

   人としての真の姿 
 さて、ここまで今日の福音書に書かれてあったことをざっと辿りましたが、今日私たちが目を止めて行きたいことを語らなければなりません。
 先ほど、イエス様の真の姿が、すなわち「この世のさらし職人の腕にも及ばぬほどに、姿が変わり、衣が真っ白に輝いた」というこの姿こそが真の姿であったということを言いましたが、それだけでは十分ではないのです。別の言い方をすれば、イエス様は神の子であり同時に人の子でもあったと言うことがあります。神であり、人でもあったと言っても良いのです。そうすると、今日の変容された姿は、神の子としてのお姿だったのです。その意味で真の姿を表してくださったのです。
 しかしイエス様は人でもありましたから、その人の姿も実は「真の姿であった」とも言えるのです。その「人」としてのお姿を、今私たちが読んでいるこのマルコによる福音書は他の福音書に比べて強調するところが散見されるのです。その例として挙げられるところが、次週読む「荒れ野でのサタンの誘惑」の話です。そこでは明らかに人としてのイエス様の姿が描かれています。他の福音書と比べて読むとそれが明らかなのです。
 ですからイエス様には二つの真の姿がありますから、片方だけをとって「これがイエス様の本当の姿である」とは言えません。今日のことで言えば、確かにモーセやエリア以上に光り輝く姿をされていた、その真の姿がヘルモン山で現れたのです。だから三人の弟子たちは驚き、恐れもしたのです。しかしそれを隠す方でもあったのです。それが十字架である。また復活されるイエス様は今日のお姿を再び回復される方でもあったと言えるのですが、でも今日私たちが目を止めたいのは、それを隠されて、私たちと同じような人として十字架の道をこれから歩まれることになる、そのことなのです。

 

   三人の弟子たち  
 山にいた三人の弟子たちを雲が覆って、雲の中から声がしたのですが、それは「これは私の愛する子、これに聞け」(7節)と言う声でした。ですから、三人に向って語りかける声だったのです。イエスに聞けと、イエスのこれからの歩む姿をしっかり見届けよ、そういう声がしたのです。
 ここから、先日読んだイエス様の洗礼の時に聞こえた天の声を思い起したいと思います。その際に強調したことですから、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。その時は「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という声がしたのです。ですから、天の声は周りにいた人たちではなく、洗礼を受けたイエス様が聞かなければならなかったと言いました。同じ天の声であっても、誰に向って語られたのかで随分と違います。
 三人の弟子たち、すなわちペトロ、ヤコブ、ヨハネはこの声を聞いたのです。そもそも、なぜこの三人なのか聖書には書いてありません。やや依怙贔屓ではないかという気もするのですが、三人が一番先にイエス様に召されたことや、三人は漁師であったという共通点があったくらいしか思い浮かびませんが、それならペトロの弟のアンデレの名前がなぜ出て来ないのかという疑問が解けないのです。
 それはそれで仕方がないのですが、でもこの三人がもう一度出て来ることに私たちは次に注目しなければなりません。十字架に架かる前日の夜に、イエス様は三人だけを連れてゲッセマネという谷でお祈りをされたという有名な出来事があります。ひどく苦しみ悩みながら、「この杯をできることならとりのけてください」と熱心に祈られた話です。イエス様も十字架におかかりになるのが嫌だったのです。恐かったし、できることなら勘弁してほしいと、神様に懇願されたのです。これは「人間イエス」の姿が一番現れたところです。これも本当のイエス様の姿だったのです。

 

   ゲッセマネの祈り  
 ヨハネの福音書にはこのゲッセマネの祈りの箇所は出て来ません。十字架にかけられた時の言葉も、三つの福音書とは随分と異なります。ですから「神の子イエス」の方を描くのです。でもマルコの福音書は「人間イエス」を描いて、そして三人の弟子たちに「これは私の愛する子、これに聞け」と言われたのです。
 三人はこの時には、そんなことなどとても予想できないことだったのです。ですから、ゲッセマネの祈りの際にも、イエス様が、自分の苦しみを共に担って欲しいと願い「目を覚ましていなさい」と言われたのですが、彼らはそんなイエス様の思いを理解していませんから、眠りこけていたのです。
 しかし今日のところには、イエス様が「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」(9節)と命じられたとありましたが、その通り、すべてが終わって彼らは今日の話も理解出来たのです。

 

   聞くべき方  
 ですから「これは私の愛する子、これに聞け」という「これ」とは、今日の「神の子」としてのイエス様のことではないと私は思うのです。真っ白に輝いたイエス様の姿に「聞け」ということではないのです。そうではなく、彼らがすぐ後に目にすることになる、ゲッセマネの「人間イエス」の姿に聞けということではないかと思うのです。それが今日も、そして後にも同じ三人の弟子たちだけを連れて行かれたことの理由なのです。
 そもそも「神の子イエス」様の姿に聞けと、その生き方に従えと言われても、「はい」と力強く、あるいは自信をもって答えたとしても、それは大したことではないのです。それを実に的確に描いてるのが、十字架の前夜に「たとえ、皆がつまづいても、私はつまずきません」(14:29)と威勢よく言いながら、いざとなる尻尾を蒔いて逃げて行ったペトロではないでしょうか。私たちも何も変わらないのです。
 だから神様は神の子イエスに「聞け」とは言われなかったのです。そうではなく、「人間イエスに聞け」と言われるのです。ここを私たちはしっかりと受け取らなければならないのです。人間イエスは、軽々とご自身の十字架を担われたのではありません。苦しみ、悩み、血の汗が滴るほどに熱心に神様に祈りを献げられたのです。ご自分の肉体が弱いこともよくご存じであったのです。でも最後には「神様の御心に」従われたのです。
 もちろん、人間イエスであったとしても、私たちがそのままイエス様に真似ることなどとてもとてもできないことは確かです。しかし私たちはそのお姿のわずかでも真似ることができるし、そのお姿を私たちの「人として生きる」姿の目標とすることができると思うのです。

 

   殉教者のヤコブ  
 実際に、人間イエスのお姿を目標として生きた人たちを、聖書の中に見ることができるのです。使徒言行録の12章1節以下(231頁)にこう書いてあるところがあります。「その頃、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」と。さらっと書いてありますので、つい読み飛ばしてしまうところですが、「ヨハネの兄弟ヤコブ」とは言うまでもなく、今日出て来た三人の弟子たちの一人の「ヤコブ」であることは間違いありません。教会の伝承で、ペトロがローマで殉教したとか、逆さ十字に掛けられた殺されたいう伝説めいたものがあります。ある小説もこの伝説に影響を及ぼしたのです。この伝説が嘘だと断じる必要はありませんが、まことしやかに言うことも好ましいとは私は思いません。カトリックの方々は違う解釈かもしれませんので、それはそれでよいでしょう。
 しかし私たちは聖書に立つ教会ですから、聖書の書かれていることには敬意を払いたいのです。ペトロと同じように、十字架を前にして一目散に逃げて行ったヤコブ、弱虫のヤコブだったはずです。私たちと大して変わらないヤコブであった。このヤコブは、今日の「これは私の愛する子、これに聞け」という「これ」を、ゲッセマネの祈りの際に知った人としてのイエス様のことだときっと後に理解したのです。それがヤコブを殉教する人に励まし、育てたのです。
 そのヤコブと同じことを私たちができるのではないでしょう。またそれを聖書は進めているのでもないと思います。しかしイエス様のあの時姿から、私たちも何かを学びたいのです。「これに聞け」という今日の天の声が私たちにも向けられている、そう受け取りたいと思うのです。
 今日のみ言葉を心に留めて歩むこの一週間が祝福されますようにお祈りいたします。 アーメン

 

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【顕現後第5主日:2月4日】

 

              「自由な者として」
             (マルコ 1:29〜39)

 

   マルコの特徴  
 今日もマルコによる福音書からで、先週の続きを読みました。先週もそうでしたが、今日も人々の癒しの出来事が書かれてありました。39節までを読みましたが、次の40節からもまた癒しの話です。さらに言えば、その次の2章でもまた人の癒しの話です。このように、病や悪霊に取りつかれた人たちの癒しの話が中心に書かれている印象があるのです。実はこれがこの福音書の特徴のひとつと言って良いのです。
 他の福音書と比べてみれば分かります。昨年はマタイによる福音書を中心に読んで来ましたので、それと比べて見ればその違いが分かり易いと思います。

 

   マタイの場合   
 今言いましたように、今読んでいるこの福音書には、ペトロを筆頭にした4人の漁師たちを弟子として召した後にすぐに起こった出来事として、次々に病気や悪霊に取りつかれた人たちの癒しの話が書いてありますが、マタイによる福音書では違います。召したばかりの弟子たちに語りかける説教が始まって行きます。あの有名な山上の説教です。「心の貧しい人々は、幸いである…」という教えが始まり、それが実に長々と書いてあります。
 その説教が始まる前にこういうことが書いてあります。「イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を降ろされると、弟子たちが―つまり召したばかりの4人の弟子たちのことです―御もとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えられた」と。ですから、あの山上の説教は弟子たちに教えるためのものだったとが分かります。ところが、マルコによる福音書には山上の説教がありません。

 

   教えではなく、癒しのわざ  
 話が横道にそれますが、明日は神学校の入学試験があります。受験生が複数いることは喜ばしいことですし、全員が合格することを期待しています。合格した学生たちは4月から語学を含めた神学なるものを勉強し始めることになりますので、彼らは様々な教えをこれから学んで行くことになります。イエス様の弟子となる手習いが始まります。それはマタイによる福音書に書いてあることと同じだと私は思うのです。
 弟子たちはイエス様から試験を受けたのではありませんが、弟子としての歩みが許されたのです。すぐに山上の説教というイエス様の教えを学んだのです。それが彼らの見習いの始まりです。
 それに比べると、マルコの福音書は随分と異なります。言うならば弟子たちは、イエス様の癒しの業をじっと見つめるのです。言葉や教えよりも、イエス様がどのようにして人々を癒されたのか、実践を学ぶようなものだったのです。これがこの福音書の特徴なのです。
 二つの福音書の違いを際立させるために、やや特徴的なことを強調しましたが、この福音書ももちろんイエス様が教えを語られたことがきちんと書いてあります。先週のところにも、イエス様は「安息日に会堂に入って教えられた」と書いてありましたし、今日のところにも「私は宣教する。私はそのために出て来たのである」(1:38)という言葉がありました。宣教とは教えを宣べ伝えることですから、イエス様の教えのことも書いてあるのです。
 でもやはり、人々は立派な教えを聞くことよりも、もっと切羽詰まったことがあったとも言えるのです。それが病気や悪霊に取りつかれることによる苦悩です。当然なことだと思います。道行く人たちが教会の求めることは、何か高尚な教えを聞くことよりも、生活に関すること、体に関することでの悩みが解決することではないでしょうか。今日においても同じような教会への期待があるように思わされるのです。

 

   すべてを捨てたのでなく    
 さて本題に入りましょう。イエス様と4人の弟子たちは、どういう訳かペトロと弟のアンデレの家に入ったのです。このこと自体が、私たちには不可解に思えます。どうしてかと言いますと、イエス様が漁師であったペトロとアンデレを「人間をとる漁師にしよう」と言って招かれた時に、彼らは「すぐに網を捨てて従った」と書いてあるからです。同じ漁師であったヤコブとヨハネも同じようにして「父親と雇い人たちを舟に残して、イエスの後に付いて行った」と書いてありますので、すべてを、家族も財産も投げ打って修行の道に入ったような印象がないでしょうか。仏教で言う「出家した」という修行の道に入ったような印象です。
 でもそうではなかったことが分かります。「すぐに網を捨てて従った」と言いながら、ペトロは自分に家にイエス様を招くのです。しかも「しゅうとめが熱を出して寝ていた」と言うのですから、ペトロには妻がいて、その妻ともこれまで通りであったことが分かります。
 むしろ私たちの方がやや硬直化したような読み取りをしてしまっているのかもしれません。イエス様の弟子となることはもっと自由なものだったようにも思われるのです。

 

   安息日からも自由に  
 この自由ということでさらに言えば、今日のところでは何も問題になっていませんが、今日の出来事は「一行は会堂を出るとすぐ、シモンとアンデレの家に行った」と書いてありましたから、これはユダヤ人社会にとっては神聖な安息日の出来事だったのです。先週も触れましたが、ユダヤ人社会では安息日規定なる厳格な様々な決まりがあって、この日には労働することが禁じられていましたので、医療行為をすることも許されませんでした。そのことが3章の初めに問題になります。ですから、このことに関してもイエス様は実に自由です。様々な規定よりももっと大切なものがある、という確信がありますから、イエス様は人の命に関することを優先されるのです。
 今日の中に「夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊に取りつかれた者を皆、御もとに連れて来た」と書いてありました。どうして明るい昼の内に連れた来なかったのかと不思議に感じますが、昼はまだ安息日が続いていますから、外を出歩くことも、医療行為を受けることも禁じられていましたから、早く行きたくてもできなかったのす。日没になってやっと安息日が終わったので、わっと、大挙してペトロの姑の家に押し寄せたのです。
 しかしイエス様の場合には、安息日であろうが関係なかったのです。その安息日の規定からもイエス様は自由だったのです。いや自由と言うより、安息日の規定自体が本来人々に休息を与え、命を守るためのものだったのですから、病と汚れた霊に取りつかれて苦しんでいる人の命を守ることこそが第一のことであることを、イエス様は当然ご存じであったのです。

 

   病人のそばに行く 
 さて、ようやくシモン・ペトロの姑の病気について触れなければなりません。「熱を出して寝ていた」と書いてありましたので、何か重篤な病ではなかったのでしょう。風邪を引いて熱があるというような病だったのだと思います。でも本人にとっては辛いことであり、客人をもてなすことができないことを残念に思っていたのかもしれません。
 冒頭に、このマルコによる福音書には説教や教えよりも、癒しのことが他の福音書に比べても優先的に書いてあるということをお話ししました。でもそれだけでは十分な説明ではないように思えるのです。実に丁寧に姑への癒しの業が書かれていることに注目したいのです。多くの場合に、この福音書よりも他の福音書の方がより丁寧に描いている印象があるのですが、しかしここは違います。
 例えばマタイによる福音書にもこの出来事は当然書かれていますが、こう書いてあります。「イエスが手を触れられると、熱は引き、姑は起き上がってイエスに仕えた」(8:15)とあります。では今日の福音書はどうでしょうか。「イエスはそばに行き、手を取って起こされると、熱は引き、彼女は一同に仕えた」と書いてありました。わざわざ「イエスは姑のそばに行き」と書いてあるのです。しかも「手を取って起こされると」と書いているのです。

 

   都南教会の宣教   
 ペトロたちはこの仕草をしかっりと見届けたに違いないのです。悪霊を追い出したような特別な行為でもありません。誰もがなし得ることです。熱病という病気に限ることではありません。私たちの宣教もそうではないかと思うのです。
 宣教ももちろん様々でしょう。最初に言いましたが、マタイによる福音書ではイエス様は人々の心に響く説教をされたのです。弟子たちは、言葉を伝えるという宣教をそこから学んだでしょう。教えるということもそうである。
 今日は礼拝の後に都南教会の総会と信徒協議会を開きます。一年間の教会の活動を報告し合い、そしてこの一年間の活動について、宣教について話し合う会です。み言葉を伝え、また聖書のことを教えるという宣教が確かにあるのです。しかしそれだけでなく、いや教会に集う者は誰でもできる宣教というものがあるとすれば、まさにここに書かれているイエス様の働きではないでしょうか。

 

   私たちの教会のこと
 この話はペトロの姑の家の中での出来事です。今日の読んだところの最後には「ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」とありましたが、これも会堂の中での宣教なのです。ある人の家の中、あるいは会堂での出来事が続くのです。いわば狭い中での出来事です。いつもそうだということではありませんが、でも今日はそうです。これを私たちの教会の中でのことに置き換えることができるのです。
 これだけの人数でしかありませんが、しかしそれでも様々な個人消息があります。週報に書けない消息もありますし、私も知らないこともたくさんあることでしょう。例えばイエス様の助けをいただくしかないようなことがあります。
 しかし姑の熱のような、手の施す可能性のあるものもきっとあるのです。それは病だけに限りません。人の手の助けを必要としてことが起こるのです。教会という小さな群れ、空間の中で起こることです。どうすれば良いのでしょうか。助けを必要としている人のことを思い、近寄るのです。そして必要ならば手助けをするのです。自分の力だけでは立ち上がることのできない状態に陥っている人が、立ち上がることができるように手を取るのです。これらは何か特別なことでしょうか。そうではないのです。

 

   都南教会の宣教
 最後に、今日の使徒書のTコリント9章19節以下のことについて触れたいと思います。そこに「私は誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました」という言葉がありました。「奴隷」とはやや厳めしい言葉ですが、「仕える者」という意味だと思います。イエス様が弟子たちに示されたペトロのしゅうとめに対する行為の事と言っても良いのです。私たちも自由な者です。何を、どう行うかも自由である。教会の中でもそうです。だからこそ、この書の筆者であるパウロは「人に仕える自由」を選ぶことの意義を強調していたのです。
 私たちもこの一週間、そしてまたこの教会の中においても、人に無関心でいることなく「近寄り、そばにいる」者でありたいのです。必要であればその人の「手を取って」立ち上がろうとする人の手助けをしたいと思うのです。誰にでもできることをです。そのような一週間が祝福されますように、お祈りいたします。 アーメン

 

教会
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