教会暦に従った説教です。今年は「C年」で、ルカによる福音書及びヨハネによる福音書が中心に選ばれます。毎週主日(日曜日)に更新しています。

 

顕現後第7主日(2022年2月20日)

 

               憐みの深い者

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 6:27〜38

 

   ヨセフ物語     
 このZoom礼拝ではもっぱら福音書のみを読んでいますが、聖書日課では旧約聖書に創世記45章3節以下が選ばれています。お読みになった方もいらっしゃるかもしれませんが、そこには「ヨセフ」のことが書いてあります。イエス様の父親もヨセフでしたが、それは創世記のヨセフに由来します。ですからユダヤ人たちにとって特別な人でした。
 旧約の民の系図はアブラハムに始まり、その子イサク、そしてヤコブとつながって行きます。ヤコブには12人の子供がいて、11番目がヨセフです。ヤコブは「どの兄弟よりもヨセフを可愛がった」(37:4)と書いてありますが、その理由を「ヨセフは年寄りっこであったので」としか書いてありません。お兄さんたちにとっては気の毒なことです。だからヨセフのお兄さんたちは「ヨセフを憎み、穏やかに話こともできなかった」と書いてあります。
 その上に、神様からも寵愛を受けて、ヨセフは不思議な夢を見る子供でした。それをお兄さんたちに話したのですが、それは、畑でヨセフが麦の束を結んでいると、兄さんたちの束がヨセフの周りに集まってひれ伏したという夢だったのです。だから、兄たちの憎しみをさらに買い、ついにヨセフを奴隷として商人たちに売り払うのです。そしてヨセフはエジプトに連れられて、宮廷の役人のもとに仕えることになります。そこで主なる神様の助けによって、めきめきと才能を発揮し、いつの間にか王様のファラオの信頼を勝ち取って、宮廷の責任者にまでなって行きます。いわゆる「ヨセフ物語」です。それらのことが39章からずっと書いてあります。創世記には「ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき30歳であった」(41:46)と書いてありますが、イエス様が30歳で宣教を始められたというのは、ここに由来すると言われることがあります。
 さてここまで少し時間を費やしましたが、45章3節以下に書いてあるのは、ヨセフがファラオの片腕になっていることを知らない兄たちが、何年もの間の飢饉に襲われて食料に困り果て、エジプトにまで食料を買い付けにやって来た時のことです。ヨセフはすぐに兄たちであることに気づくのですが、彼らは知る由もない。ヨセフは身を明かさず、兄たちが昔のままか、それとも少しは変わったのかを試そうとして、ヨセフの唯一の弟バニヤミンに対する態度、さらに父親のヤコブに対する情の深さを探ろうとします。そして彼らの弟と父親に対する愛情が嘘でないことを知って、ヨセフは涙をこらえきれずに声をあげて泣くのです。そして兄たちに自分の身を始めて明かすことになる。実に感銘深い話です。これが原因で、ヤコブと息子たち11人がこぞってエジプトに移り住んで、次第に子孫が反映し、それが出エジプトに繋がることは言うまでもありません。

 

   兄たちを憐れむヨセフ  
 この話は、今日の福音書の話から見れば、ヨセフにとっては兄弟たちは敵になります。悪口を言い、侮辱し、頬を打ち、上着を奪った者たちです。ここに書かれてあったことをすべて表したような人たちであった。だから旧約聖書として今日選ばれていたのです。そして同様に、それにもかかわらず、食料を求めてる敵に与えたのがヨセフでしたから、ここに書かれてあることを実行した人として描かれていると言えるのです。
 そのように言うことができるのですが、でもそれだけではヨセフ物語のことを十分に語ったことにならないと私は思ったのです。何かが足りない、そういう感じです。それはヨセフの苦悩です。食料を彼らに与えるべきかどうか迷いがあり、疑いがある。怒りをもって兄たちの悪行に報いようとする心が当然起こり、弟と父親だけに食料を分けようという思いもあったはずです。だからヨセフは身を明かさず、兄たちを試すのですが、それはヨセフにずっと迷いがあり、葛藤があったからです。そして兄たちの改心した姿を見届けたのです。
 ただこのヨセフ物語のクライマックスというのは、ヨセフが兄たちに自分のことを打ち明けた後に、彼らに言った言葉だと言われます。こう言うのです。「今、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と(45:5)。つまり、ヨセフは自分に起こった大変な出来事、災難というものは、神様の御計画であり、しかもヨセフを用いてイスラエルの民が救われるためだったのだということを信じることで、迷いが解け、兄たちを赦し、食料を施し、彼らの住いまでも用意することができたのです。
 このように、イエス様の教えはヨセフの行いに見ることができることを確認しました。敵を愛し、自分を憎む者に親切にした。上着を奪う者たちにもさらに与えたのです。容易いことではありません。いや、はっきり「自分には無理だ」と言うしかないことでした。でも夢を通して彼に働いてくださった神様の助けにいただきながら、今言いましたように、彼の信仰がそれをなすことができたのです。

 

   信仰ではなく、完全でもなく 
 しかし、今日のイエス様の教えに「信仰」のことが書いてあったでしょうか。ヨセフのように、強い信仰に持って、この過酷な教えを実践するように言われているのでしょうか。そうではありませんでした。いや、それは信仰に結局はつながるのだと思いますが、でも今日言われていることは「あなたがたの父が憐れみ深いように、憐れみ深い者になりなさい」という言葉でした。「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである」とも言われました。神様のことを、情け深い、そして憐れみ深い方だとイエス様は言われるのです。
 この同じ話でもマタイよる福音書は「あなたがたの父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と書いています。随分と違う感じがします。天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい。やや道徳的な感じがします。品行方正になりなさいと言われているようにも聞こえます。でも今日は「父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と言われました。この言葉を今日はしっかりと受け取らなければなりません。

 

   苦悩することの意味 
 先ほど、ヨセフは敵であった兄たちを赦して、むしろたくさんの物を与えるにはきっと苦悩したに違いないと言いました。容易いことではないのです。苦悩するということは言うまでもなく、大変なことです。好き好んで苦悩する人はいないと思います。できれば避けたい。でもそれを経て、ヨセフの場合には神様への信仰が勝ったのです。これと同じように、今日のイエス様の教えも、これを本当に聞くならば、誰でも苦悩することになると思います。そうではないでしょうか。もし苦悩しない人がいるとすれば、今日の教えを最初から聞かない人です。そんなことをしたら損をする、そんなことをできるわけがない、そんなことをしてどんな徳があるのか、…挙げれば切りがないほど理由が立ちます。
 でも私たちがキリスト者である意味は、その拠りどころは、今日のようなイエス様の教えを聞き流さないことではないでしょうか。いや、聞き流せないのです。だから悩ましいのですが、でもイエス様の教えを悩ましく思い、どこかで葛藤するからこそ、私たちはキリスト者であることの確かさがあるのです。でも大切なことは、ヨセフと同じように、苦悩するのだけれども、そこからもっと大切なものを得ることです。それは父なる神様の本当に憐れみ深いお姿を知ることです。神様がまことに憐れみ深いことを、イエス様ご自身が人々に人々に表されて行かれる、それをルカによる福音書はとても丁寧に描いているのです。

 

   放蕩息子の譬え

 その良い例が、私たちの誰もが知っている放蕩息子の譬えです。15章11節以下に書いてある話です。聖書日課を確認しましたが、どの主日にも選ばれていませんので、良い機会ですから少し触れたいと思います。二人息子の内の弟の方が放蕩の限りを尽くしたのですが、心を入れ替えて帰って来たという譬えです。この譬えの主人公は放蕩息子だと誰もが考えます。それで良いのですが、でも私は、真面目人間であった兄の方こそがイエス様が心配された人ではないかとさえ考えるのです。兄は父親の言いつけに背いたことのない、いわばマタイによる福音書の言い方をすれば「完全な人」の部類でした。少なくとも正しい人であった。実際に父親は兄を??りつけることはありませんでした。でも一番大切なことが分かっていなかったのです。父親が子供たちに注いでいるもっとも大切なものは、憐れみの深い心であったということです。父親が憐れみ深いように、あなたも憐れみ深い者になりなさいということです。

 ただ、放蕩息子の兄は実に気の毒に思えます。自分は実に真面目に父親の下で働いていたのに、自分勝手な放蕩の限りを尽くした弟がいて、改心して返って来たとしても、父親が自分には一度もしてくれなかった祝いの席を設けたとすれば、面白いはずがありません。その意味では試練です。ヨセフと同じです。とんでもない者たちに笑顔を、祝福で返さなければ向けなければならないとすれば、苦悩するはずです。悩むのです。葛藤するに違いない。

 

   怒りに終わるのではなく
 でも、もし怒りだけで終わり、自分の正しさだけに固執しているとすれば、それは寂しい毎日で終わるしかないのだと思います。だから今日イエス様は、「天の父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい」と言われたのです。すぐに、敵を愛し、自分を憎んでいる人に親切にすることはできないでしょう。いや、生涯かけてもそれは完全には難しいことでしょう。でも私たちキリスト者にできることがあるとすれば、それは、私たちに注がれている神様の憐れみ、十字架に示されたイエス様の憐れみをいつも見つめることです。それを忘れないこと、これが第一のことです。そして怒りや憎しみがあったとしても、神様とイエス様の憐れみの心を少しでも増し加えることです。葛藤してもいい、苦悩してもいいのです。ただ、このことを忘れないで過ごすことが大切だと思うのです。
 このみ言葉を心に刻み、この一週間も歩んで参りましょう。 アーメン

 

待降節第2主日(2021年12月5日)〜顕現後第6主日(2022年2月13日)

 

                不幸の教え

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 6:17〜26

 

   幸いと不幸の教え     
 今日の話から私たちがすぐ連想するのは「山上の説教」、あるいは「山上の垂訓」という言葉ではないでしょうか。イエス様が山に登られて、腰を下ろして群衆に語られたという言葉を思い起こしますが、それはマタイによる福音書5章にあります。でも今日読んだのはルカによる福音書でした。読んでいただいた冒頭に「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちなった」とありました。わざわざ「山から下りて」と書いてありましたが、マタイの方は「山に登られた」ということでしたら、ルカの福音書は「平地の説教」と呼ぶことがあります。山の上と、平地での説教とどこが違うのか、どうして違うことが書いてあるのか疑問が湧いてきますが、よく分かりません。

 ただ今日私たちが覚えたいことは、「山上の説教」か「平地の説教」とかいう違いはさておいて、今日の福音書の話は、教えそのものがマタイによる福音書とずいぶんと異なっているということです。お気づきのように、ここには幸いだけでなく「不幸」についても語られています。マタイの福音書はすべて「幸い」の教えですから、不幸の教えはありません。誰でも「幸い」の話なら聞きたいのですが、「不幸」の話を敢えて聞きたくはありません。その意味では「山上の説教」の方が好まれるのです。でも今日は、幸いの教えだけでなく、不幸の教えにも耳を傾けなければなりません。

 

   神の国の教え  
 まず「幸い」の教えに目を向けましょう。「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」、これが最初の言葉です。さらに「今飢えている人々は、今泣いている人々は」と、普通に考えればそういう境遇にある人は不幸ですが、でも「幸いだ」とイエス様は教えています。
 言うまでもありませんが、貧しいことが幸いなのではありません。飢えていることや涙を流すこと、人々に憎まれること、それらのことが幸いだという意味でももちろんありません。でも、そんなときでも、いやそんなときこそ「神の国はあなたがたのものになる」という意味です。
 この「神の国」という言葉から皆さんと確認したいところがこの福音書にはあります。先週の夜の聖書を読む会でも触れましたが、17章20節と21節の言葉です。とても大事なところですし、良い機会ですから読みたいと思います。

 

「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて
言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』
と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

 特に21節の最後の言葉が重要です。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」とありますが、今度替える『聖書協会共同訳』では「実に、神に国はあなたがたの中にあるからだ」という言葉になっています。こちらの方が良いと思います。神の国はあなたがたの中にもうある、そこにもう来ている、そういうことをイエス様は言われました。ここで注意したいのは、弟子たちに言われたのではないということです。洗礼を受けた人だけに「神の国はあなたがたの中にある」と言われたのでもありません。ファリサイ派の人々が尋ねたので、そのファリサイ派の人々に向って「神の国はあなたがたの中にある」と言われたのです。ファリサイ派の人々は洗礼を受けていたでしょうか。信仰告白をしていたのでしょうか。イエス様のことを信じていたでしょうか。そうではありません。それどころか、いつもイエス様に敵対し、言葉尻を捕えて何とかとっちめてやろうとしていた人たちです。そういう凡そイエス様が宣教された神の国を受け入れているとは思えない人たちに向って、「神の国はあなたがたの中にある」と言われたのです。これはとても重要な教えです。しかもこの言葉は福音書でもここにしかありません。
 でも結局は、ファリサイ派の人々の場合は「神の国が自分たちのもの」にはなりませんでした。それを感謝して受け取ろうとしなかったし、それを信じようともしなかったからです。

 

   神の国が自分のものになる  
 この言葉を頭に入れておくと、今日のイエス様の教えがとても分かり易くなります。貧しい人であろうと、富んでいるひとであろうと、もっと大胆に言えば、信仰を持っていようと、そんなの関係ないと言っている人であろうと、「実に、神の国はあなたがたの中にある」ということです。でもそこで終わらない大事なことがある! どんな人にも神の国は自分の中にあったとしても、それが「自分のものになる」ということとは違います。「神の国はあなたがたのものである」と今日イエス様が言われたことは、そういう意味だと考えます。
 詩編42編に「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。 神に、命の神に、わたしの魂は渇く」という言葉があります。砂漠の谷を鹿が、水を求めてさ迷っている。しかし涸れている。もし水辺を発見したなら、どれほどそれで有難く喉を潤すであろうかと、人の魂の渇きに譬えるのです。命の神を求める。それは今日で言えば「神の国を求める」という言葉です。イエス様のみ言葉でもそうである。
 逆に言えば、今喉を潤す必要のない人にとっては、谷川の水など欲しくもないし、見向きもしないでしょう。お腹が満ち足りているからです。いつも満たされている人には渇きがないのです。たとえそこに水があったとしても、その人のものにはなりません。
 そう考えると、イエス様が言われる「幸い」とは、貧しいことではないし、逆に、富んでいることでもないのです。飢えていることが幸いではないし、満腹しているそのこと自体は幸いとは直接には結びつかない。大事なことは、その人の中で神の国が自分のものとなっているかということです。折角「実に、神の国はあなたがたの中にある」と言われているのに、それを感謝をもって受け取らず、それがまったく見向きもされないならば、その人のものとはならない。血と肉とならない。恵みにもならないのです。
 24節に「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている」という言葉がありました。「もう慰めを受けている」というのは「もう自分の慰めを受けている」という意味です。もう自分の慰めを見つけ出しているのです。だから、もう神様の慰めは必要なくなっているのです。

 

   不幸ではなく災い 
 このように、「不幸」ということの意味を「幸い」ということとを比較しながら読んで行くことで、より意味がはっきりすることを確認しました。
 しかしこの「不幸」という言葉は、本来は「災い」という意味が強い言葉のようです。新しい聖書は「災い」という言葉に変わります。と言っても、前の口語訳聖書の言葉にまた戻ったと言った方が良いのですが、いずれしても不幸と災いではニュアンスが異なるように感じます。
 マルティン・ルターはここをとても味わい深い言葉で訳しました。例えば日本語でも、「ああ、痛々しい」と言うことがあります。「ああ、それは辛いことでしたね」、そういう訳をルターはしました。元々の言葉がそういう言葉のようですし、英語の訳もそういう言葉だと思います。ただ単に「不幸だ」とか「災いだ」という意味にルターはイエス様の言葉を受け取りませんでした。「ああ」という言葉がそもそも悲しみや悲痛さを込めた言葉です。
 繰り返しますが、富んでいる人が、その富のゆえに不幸であることはないし、それが災いということでもない。富んでいる人も貧しい人と同じように、神の国が自分のものとなるならば、それは幸いなことです。でも、富んでいる人の方がより、自分の中に慰めを見出し、もう神の国などということは必要としない誘惑があることをきっとイエス様は教えていらっしゃるのです。

 

   イエス様の憐み  
 でもそれは「不幸だ」とか「災いあれ」というような裁きでも、断罪でもないのです。ルターの言葉を借りれば、それは「ああ、何と痛々しいことか」という嘆きであり、悲痛な叫びなのです。それは第一に、富んでいる人、今満ち足りている人、そういう人たちにとって痛々しいことなのです。でもきっとそれは本人だけのことではない。イエス様も同じように痛々しさを悲しまれるのです。
 次週読むことになりますが、36節にこういう言葉があります。「 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」という言葉です。父なる神様が憐れみ深いように、弟子たちも憐れみ深い者となりなさいと言われたのです。イエス様もそうであることは当然のことです。 
 イエス様の憐みは貧しい人々や飢えている人、泣いている人に向けられるのです。その憐れみの言葉は今日もそうであったように、祝福の言葉をそのまま語るのです。「幸いである」と繰り返されるのです。詩編42編にあったように、神の国、神様の恵みや祝福を渇望している人にはすぐに祝福を語る。それがイエス様の憐みの表し方です。

 

   神の痛み、イエスの痛み  
 でもそれは富んでいる人たちでも同じなのです。イエス様の憐みは彼らにも向けられている。でもその表し方が貧しい人たちとは異なるのです。読み方によっては裁きのように聞こえる。断罪されているように、突き放しているように感じてしまいます。でもそうではない。彼らの痛みを、イエス様も傷んでいる。
 エレミヤ書31章20節に、主なる神様が、罪を重ねる旧約の民を嘆く言葉が書いてあります。こういう言葉です。「彼のゆえに、胸は高鳴りわたしは彼を憐れまずにはいられないと 主は言われる」。神様は、罪を重ね、父なる神様の不肖の子であっても、いやそれだからこそ胸が高鳴って、心臓がどきどきするほどに、その子を憐れまずにはいられないと言うのです。実に素晴らしい言い方です。この「胸が高鳴り」という言葉は新しい聖書では「わたしのはらわたはもだえ」という言葉に変わりました。文語訳が「我膓(はらわた)かれの為に痛む」という言葉でしたから、文語訳に近くなりましたが、それなら「もだえる」よりも「痛む」の方がいいように感じますが、それはいいでしょう。
 以前お話ししたことがありますが、このエレミヤ書の言葉に啓発されて、北森嘉蔵という神学者が『神の痛みの神学』という本を戦後すぐに書いてとても有名になりました。旧約聖書ですから「神の痛み」になりますが、今日の福音書から語れば「イエスの痛み」ということになります。
 貧しき人たちの「幸い」を語る時もそうである。富んでいる人たちや大笑いしている人たちに不幸や災いを語る時もそうである。イエス様は、彼らを「ああ、何と痛ましいことか」と心を痛めておられるのです。殊にも今日の「不幸だ」と言われた彼らに対してそうである。このイエス様の深い憐れみの中で、このイエス様の痛みの中で、私自身は、今日の様々な人々のどれに当たるのであろうか、それぞれがもう一度読み直してみたいと思います。 アーメン
                        (2022年2月13日) 

 

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            あなたのお言葉ですから

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 5:1〜11

 

   宣教の思いを確認するために     
 今日はこの礼拝の後に総会を開きます。様々な制限のある中での総会ですが、そこで昨年の報告と今年の教会活動に関することを決議します。それぞれの教会の総会は、日本福音ルーテル教会に属している限り、必ず一年に一回2月10日までに開催をしなければならない規則がありますので、それに従うものです。こう言うとやや事務的に聞こえてきますが、でも総会はやはり大事な目的があります。宣教への思いを確認し合うことです。この意味で、今日のみ言葉は総会を前に相応しい箇所でした。シモン・ペトロと同じ漁師仲間のヤコブとヨハネが、宣教を担う弟子として召されたところです。教会にいる者は誰でも知っている話ですが、私たちも宣教を担う弟子として召されていることを確認することができるからです。
 ただ今日は、この有名な弟子の召命の話を他でもないルカによる福音書から読んだことに注意を払わなければなりません。と言うのは、マタイとマルコ福音書とはかなり異なることを描いているからです。

 

   ペトロの迷惑    
 私たちが思い起こすのはむしろマタイとマルコ福音書に書いてある話の方ではないでしょうか。イエス様がガリラヤ湖のほとりを歩いておられたときに、ペトロと兄弟のアンデレが網を打って漁をしているところをご覧になるのです。たまたまと言ってよい。そしてすぐに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:19)と招かれます。この話から、何の躊躇もなく、見も知りもしない人に従って行くペトロたちの素直さや大胆さを覚えます。イエス様の招きがどれほど力強いものであったかを学ぶのです。
 しかし今日の弟子の招きはそうではありません。そもそもペトロとイエス様はここが初対面ではありません。ペトロのしゅうとめが高熱に苦しんでいるときに、人々に促されてペトロの家を訪ねて癒してくださったことが今日の少し前のところに書いてあります。ペトロの持ち舟に乗り込んで、岸から少し漕ぎ出すようにと頼まれたのはそのような出来事があったからなのです。きっとペトロも恩義を感じて断れなかったのです。
 しかしペトロにとってはいい迷惑だったに違いありません。彼らは夜通し苦労し働いたのです。収穫があれば苦労した甲斐があったということでしょうが、何もと取れなかったのです。空振り程疲れることはありません。しかし休む間もなく、漁をしたすぐに網を洗うという仕事があったのです。いわば疲れがピークに達していたはずです。そこにイエス様は岸から少し漕ぎ出すようにペトロに頼まれたのです。しゅうとめの病気を癒してもらった手前断り切れなかったとは言え、内心は渋々だったに違いなのです。ペトロは舟を少し漕ぎ出した後に、イエス様の教えを一番近いところで聞いたのですが、でも聞いていなかったでしょう。「早く終わらないかな」と、別のことを考えていたに違いない。
 そして長い話がやっと終わった。そうペトロが思ったときでした。何と、さらにイエス様は「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われたのです。さすがにペトロは断ろうとしたのです。疲れている上に、夜通し漁をしたにもかかわらず何も取れなかったのだから、昼間に漁をしても取れるはずがないと思ったのです。長年漁師をして来た経験からも確かなことだったはずです。それ以上はさすがに口に出さなかったのですが、しかし本音はそうであったことが後で分かるのです。
 しかしペトロは本音を押し殺したのです。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と、そのとおりにしたのです。そしてどうなったか。二そうの舟とも沈みそうになるほどに魚が取れたのです。

 

   ペトロが映し出す私たちの姿   
 さて、今日の話を思い巡らすならば、この光景は決して聖書の世界だけではないように私は思うのです。
 想像するに、ペトロはイエス様の話などには興味のない人でした。いわば普通の人です。代表的な日本人とでも言えるような人だったのです。今日の最初に「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」とありましたが、熱心にイエス様の話を聞こうとして集まって来た人たちとは違うのです。別に反発するほどではなかったでしょうが、イエス様のところへわざわざやって来て、話を聞く意欲も必然性がなかったのです。
 だからある説教者がこう言うのです。教会を通り過ぎる人たちとペトロは同じではないだろうかと。自分は必死に一週間働いて来た。この世の生業(なりわい)に生きている人間に、教会に行く暇があるかと。身体を休めて、リフレッシュした方が余程いいじゃないか、説教を聞くのはもっと暇がある時だと。いや、私たちキリスト者といえども、教会生活を続ける中でそういう思いが勝り、そういう理由で礼拝から足が遠のいてしまうことがいくらでもある。ペトロはその象徴ではないだろうかと言うのです。だから、ペトロには借りがあり、義理があったので舟を出したものの、イエス様の言葉はまったく届いていなかったのです。

 

   心の深みと浅瀬   
 ですから、話が終わって「やれやれ」と、ようやく舟を引き上げることができるかと思いきや、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われたのです。浅瀬に魚はいない。だから魚を取るために、もっと沖の方へと漕ぎ出しなさいと言われたのです。ここだけ読むと、漁の話にしか聞こえません。
 でもこれは、もうひとつの意味を持っていたとのではないかと私は思うのです。「沖に」という言葉は「深い」という意味があります。「深いところに漕ぎ出す」という意味です。深いところに網を降ろしなさいとイエス様は命じられたのです。ペトロにとって「深いところ」というのは、彼の心の中のことではないか、そう考えるのです。
 心というものはそもそも見えないものです。でも、人の言葉をどこで受け止めているのかという時に、私たちはどこかで使い分けています。例えば、人の言葉を心の深いところで受け止めた時には「心から感動しました」という言い方になります。逆に上辺だけで、表面的に受け止めに過ぎない場合には、心の深いところで受け止めたとは言わないはずです。
 ペトロは舟の上で聞いたイエス様の言葉を、実に表面的で、上辺だけで聞いたに過ぎなかったのです。しゅうとめを助けてもらったから義理で舟を出し、そして舟の中でイエス様の話を聞いているように振舞ったのでしょうが、でも心の浅瀬で聞いているだけでした。だから、何の興味もない、何の得るものもないのです。

 

   ペトロに網が降りた  

 イエス様はそれをよくご存じだったのです。だからペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われたのです。でもその言葉でさえも、ペトロは心の上辺、浅瀬だけで聞いていました。だから「いやいや、わたしたちは夜通し苦労して漁をしたんですよ」とそこまで言いながら、「昼間に漁をして取れるわけがないでしょう」という不信を心の奥底に閉まったのです。

 でもイエス様が言われた意味は、魚を取る話ではなく、まず、あなたの心の奥底で私の言葉を受け取りなさいという意味だったのではないでしょうか。だからイエス様は敢えて、ペトロの心の奥底に切り込んで来たのです。だからペトロは仕方なく「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言って網を降ろしたのです。すると驚くべき奇跡が起こったのです。すると何が起こったのか。彼は「主よ、わたしを離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ったのです。素直に、心の底から自分の不信仰を認めたのです。ここに、イエス様の言葉がペトロの心の深いところに届いたのです。イエス様の網がペトロの心の深いところまで降りて来て、ペトロの心をつかんだのです。ペトロをまず釣り上げたのです。ですから、この話は漁の話以前に、ペトロのことが問題だったのです。

 

   心からの叫び    
 ペトロの「わたしは罪深い者なのです」という言葉は、本当の心からの告白です。これほどの心からの叫びは他の福音書にはありません。ルカによる福音書はペトロと同じような「自分の罪深さを」心の底から告白する人たちを何人も描いています。例えば7章にはイエス様の足に高価な香油を塗った女性の話があります。自分の罪を心から告白する美しい女性をルカだけが描いています。15章の放蕩息子の譬えも、心から悔いて父親のところに帰ってくる息子を描いています。もうひとつ加えるならば、ペトロが十字架の際にイエス様を裏切る話では、ペトロがもう一度罪を告白するところをどの福音書も書いていますが、ペトロの悲しい告白を、言葉にもできない深い叫び、嗚咽を描いているのは間違いなくこの福音書だと私は思います。
 「わたしは罪深い者なのです」という言葉は、私たちが礼拝の度毎に式文を通して行っている「罪の告白」とは質が違います。一週間を振り返って、つい言葉が過ぎてしまった、ついずるいことをしまった、つい怠けてしまった、そういうことを毎週振り返って、罪の告白をするということはもちろん大切なことです。でも、今日のペトロのような「わたしは罪深い者なのです」という心の叫びの告白は、礼拝の短い時間だけで到底できないことです。そう毎週毎週できることでもありません。
 でもそれは、イエス様の言葉が私たちの心の深みに触れたとき、そこに届いた時に自ずと起こることです。それが今日のペトロに起こったのです。「しかし、お言葉ですから」というこの言葉が、がぜん力を持って来る。それが重しになり、それが励みになり、それが宣教する者へと導かれるのです。

 

   「あなたのお言葉ですから」となる    
 この「お言葉ですから」というこの言葉は、「あなたのお言葉ですから」というのが元もとの言葉のようです。言葉にも色々あって、それに「お」をつけて「お言葉」という具合に、大切に扱うべき言葉がきっとそれぞれにたくさんあるはずです。金言とか座右の銘とでも言うべき言葉です。
 でも私たちキリスト者には、「イエス様、あなたのお言葉ですから」という言葉がなければなりません。私の心の深みで触れた言葉がなければなりません。今日のペトロのように、自分の経験や知識と言うべきものにむしろ挑戦し、切り込んで来るイエス様の言葉を持たなければならないのです。「イエス・キリストのみ言葉」が「あなたの言葉ですから」となるのです。私たちの宣教を語る前に、自分にイエス様の言葉が深く届いているかを確認し合うのです。ひとつでもいい。でもペトロと同じ「わたしは罪深い者なのです」と叫ばざるを得ないようなみ言葉との出会いです。それがあるならば、ペトロがそうであったように、自ずとその体験、その信仰、その言葉を宣べ伝え、生き様を通して証しする者に召されて行くのです。 アーメン
                        (2022年2月6日) 

 

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              受け取り損ねた恵み

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 4:21〜30

 

   賛美が不信へ     
 今日は先週の続きです。先週読んだのは、イエス様の故郷のナザレでのことでした。いつもの習慣に従って土曜日の安息日に会堂に入って礼拝に集われました。そこで係の者から受け取ったイザヤ書の巻物を開いて、61章に書いてあるところを読まれたという話でした。そこには「主なる神様がわたしを遣わして、捕らわれている人を解放させ、目の見えない人に視力の回復を告げさせる」ということなどが書いてあったのですが、それはイエス様ご自身のことであって、それが皆が耳にしたときから実現してゆくのだということをイエス様が語られたというところでした。会堂にいた人たちはそれを誉めて、賛美して、イエス様が語られる恵み深い言葉に驚いて、感嘆したのです。そこまでは良かったのです。
 でもすぐその後、「この人はヨセフの子ではないか」と言い始めたのです。ここから先週の話が急展開して行きます。ナザレの人たちはイエス様のカファルナウムでの噂を耳にして、実際に自分たちも教えを耳にして、「あの噂は本当だったんだ」と感嘆して、これは素晴らしい教えだと誉めそやしたのです。普通はそれが賛美になり、教えに耳を傾けることになるのですが、そうではなく、それが逆の感情を引き出してしまうことになったのです。

 

   信仰を邪魔するもの   
 この話から、ナザレの人たちの愚かさや破廉恥さが読み取れるのですが、でもこの出来事は、他人事のように読んではいけないのです。なぜかと言いますと、誰もが持っている感情というものを描いているからです。そこで耳にした素晴らしい出来事や恵み深い教えであったとしても、それが別の感情を引き出してしまって、素直に聞けないことが起こってしまうことがあるからです。聖書は人間というものを実にリアルに、実に奥深く描いていると言われる所以です。
 「この人はヨセフの子ではないか」、ナザレの人とたちにとっては、ヨセフの子、大工の息子、マリアの長男ということがどうしても目から離れなかったのです。それ以上のことは書いてありませんので、殊更問題を抱えていた家族であったということではないでしょう。少なくとも、自分たちと何も変わらない凡人でしかない、そういう物差しを人々が持っていたことは間違いないのです。そういう凡人がどこでイザヤを学んだのか、何の権威を持って偉そうなことを語るのかと。それならここでも奇跡を起こしてくれ、証拠を見せてくれとばかりに彼らはイエス様に求めるのです。でもそれは信じるための求めではありませんので、例えば病人を癒す奇跡を起こされたとしても、別の屁理屈を並べて、いちゃもんをつけたに違いないのです。人間というものは実は大なり小なり、そういうものではないかと思うのです。
 何かが邪魔をする。それは人によって異なるのです。折角恵み深い言葉を耳にしたとしても、それが感謝と讃美になって受け取れれば良いのですが、それが逆になってしまうのです。

 

   サレプタのやもめ  
 そこでイエス様が語られたことは旧約聖書にある二つの話でした。二つの話は列王記に書かれている話ですが、最初のエリヤのことは列王記上の17章にある出来事です。エリシャのことは列王記下5章に書いてあります。シドン地方のサレプトのやもめにしても、シリア人のナアマンにしても、土地の名前で分かりますが、二人ともユダヤ人から見れば異邦人です。今で言う外国人です。これが共通していることです。
 まずサレプタのやもめの話は、その地方で3年半もの間雨が降らないという大飢饉が起こった時のことだと今日も書いてありました。エリヤがそのやもめのところに遣わされるのですが、そこでエリヤはとんでもないことを頼みます。お腹が空いたので、水とパンをひと切れ持ってきてくれと言うのです。やもめは男の子と二人で細々と暮らしているのですが、あと一握りの小麦粉しかなかったのです。それが無くなればもう死ぬのを待つばかりですと答えるのです。でもエリヤは神様の命令でもありますから、まずわたしに小さいパンを焼いて持って来なさい。その後であなたと息子のためにパンを焼くようにもう一度言います。とんでもない話ですから、やもめが文句を言い、拒否したのは当然です。でもやもめがエリヤの言ったとおりのことしたところ、粉は幾日も尽きることがなかったと言うのです。
 この後、今度は息子が病気でなくなるというもっと悲惨な悲劇がおこりますが、ここでも不思議なことに息子はもう一度生き返るということが起こります。
 ここで大事なことは、異邦人のやもめも試練に直面したことです。当然ですが、でもエリヤの言葉をそのまま素直に受け取ることはできなかったのです。

 

   シリア人のナアマン 
 もうひとつのシリア人ナアマンにしても同じです。彼は重い皮膚病にかかってしまいました。らい病と以前は訳されていましたが、そちらの方がより伝わってくる恐ろしい病気です。ここでは彼の妻の召し使いがイスラエルの女だったことから、エリシャの噂を耳にして、彼の方からエリシャの下にやって来ます。財宝をたくさん持って行ってエリシャに会おうとするのですが、エリシャは顔を出すこともなく、ただ人に言葉を託しただけだったのです。塩対応という俗語がありますが、それです。少なくとも、ナアマンは無礼だと憤るのです。エリシャはただ「ヨルダン川に行って七回体を洗いなさい」と言うだけですが、エリシャからすればその言葉で十分なのです。でもナアマンの怒りは収まらなくて、ヨルダン川の水よりも、故郷の川の方が余程きれいではないかと、憤慨します。でも家来たちがなだめるものですから、実際にヨルダン川に行って七回身体を洗ったところ、これまで病気が癒されるという不思議なことが起こったのです。
 ナアマンにも試練があったのです。彼もエリシャの言葉を素直に受け取ることができなかったのです。何かが邪魔をする。ナアマンのプライドだったかもしれない。そのプライドを傷つけられてしまったのです。それは今日のナザレの人たちも同様でした。イエス様から旧約聖書に書かれている異邦人に対する祝福を聞いた時に、彼らもプライドを傷つけられたのです。だから28節に「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、イエスを町の外へ追い出し、山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」と書いてありました。人間の憤り、憤慨、こうしたものは自分のプライド、誇りを傷つけられた時に沸点に達するのです。それはいつの時代もきっと変わらないのです。

 

   イエスが問題とすること   
 さてここまで今日の話の流れを辿りましたが、ここから私たちが受ける印象というものはどういうことでしょうか。第一に感じることは、ナザレの人々の頑なさではないでしょうか。彼らの傲慢さを覚えます。イエス様を崖から突き落とそうとするなど、もってのほかではないという思いがして来るのです。つまり、彼らの行ったことの「非」に目が向かいます。
 確かに他の箇所に、イエス様の教えを受け入れようとしない人たちに抗議を進めるところがあります。弟子たちを宣教へと送り出す時に言われたイエス様の言葉です。「だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出て行くとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落しなさい」(9:5)とあります。使徒言行録にも同じようなことが書いてあります。ですから、今日のナザレの人々に足の埃を払い落として、彼らの無礼に抗議したいところでしょう。でも、イエス様の思いはそれとはどこか異なるのではないかと思うのです。
 それはナザレの人々の問題ある行動ということではなく、彼らが恵み深い言葉を聞き、またそれに大いに驚いたとしても、結局はそれを自分の中に受け取ることができなかったことが問題なのです。結局は恵みを受け取り損ねたのです。これがイエス様にとって一番問題だったのではないでしょうか。

 

   損をするということ 
 いま私は「受け取り損ねた」と言いましたが、「損なう」ことです。これは漢字で書くと「損」という字になります。だから「損なう」ということは言い方を変えれば「損をする」という意味です。中々味わい深いと思えないでしょうか。結局はナザレの人たちは、恵み深い言葉が自分たちの中で実現することがなかったのです。それが恵みを受け取る損ねたことであり、それは彼らにとって「損」になってしまったのです。イエス様がひどい扱いを受けて損をしたということではない。折角時間をかけて、熱心に彼らに恵み深い言葉を届けたのに、それが無駄になった。時間を損した、そういう意味でもない。ナザレの人たちが損をしたのです。ここが大事なことです。

 

   パウロの言葉  
 そこでさらに思い起こすのが、フィリピの信徒への手紙3章にあるパウロの言葉です。フィリピの教会にはパウロと異なる教えを伝える人たちがいたのです。その人たちは自分たちのことを大きく見せようと、様々なことを自慢していたのです。具体的になにを自慢していたのか分かりませんが、きっといつの時代も変わらないことでしょう。パウロという人は元々自分自身が誇り高い人だったようですし、鼻っ柱の強い人でしたから、相手が何か自慢するのなら、私にはもっと自慢できることがもっとあるぞと言って、それらをいくつも数え上げています。
 でもこの手紙の重要ところは、そう言いながら、そういうことに捕らわれて、誰よりも自分は優れたものを持っているぞと、そこに拘っていると、イエス・キリストのことが結局は分からない、受け取ることはできないと言うのです。それは「損だ」と最後に言うのです。「損失」という言葉ですが、「損」と同じです。イエス・キリストのことを受け取り損ねることになる。それはあなたにとって大変な「損」ですよと言いたいのです。

 

   二つのこと 
 だから今日のみ言葉から、二つのことを受け取りたいのです。私たちもみ言葉を聞いたとして、何かが邪魔をすることがある。折角の恵み深い言葉を耳にしながら、それが手元からするっと滑り落ちてしまう。受け取り損ねてしまう。でも、サレプタのやもめにしても、シリア人のナアマンにしても、彼らも一度は何かが邪魔をして、神様の恵みや祝福というものを受け取り損ねようとしたのです。きっと私たちも同じなのです。この世の生きているところには、何かが満ちている。イエス様の恵み深い言葉を聞いても、それが本当に自分の中で実現するまでに、きっと私たちも試練を経なければならないのです。しかし、最後はそのみ言葉を信じ、それを信頼し、その道を選び取るのです。
 もうひとつは私たちの宣教です。一生懸命に宣教しても、なかなか届かない。成果が出ない。するとみ言葉の種を蒔くことが、色々と時間と労力を注いだことが無駄になっているように思えて来ます。私たちが損をしたような気持になり兼ねない。でもそうではないのです。恵み深い言葉を受け取らないことが損である。私たちの宣教の目的、志しはここにあると教えているのではないでしょうか。ご一緒にこの二つのことを心に刻みたいと思います。 アーメン
                        (2022年1月30日) 

 

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             約束の言葉が実現した

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 4:14〜21

 

   ルカの「最初のしるし」     
 先週はヨハネによる福音書2章の「カナの婚礼」の話を読みました。イエス様が給仕たちに大きな水がめに水を一杯に汲むように命じたところ、それがいつの間には上等のぶどう酒に変わっていたというお話でした。イエス様がなさった「最初のしるし」であったと書いてありました。
 しかし今日のルカによる福音書はそれとは異なることを書いています。そもそも「カナの婚礼」の話はヨハネによる福音書にしかありませんので、ルカによる福音書は別の「最初のしるし」を書くわけです。「最初のしるし」という言葉はありませんが、イエス様はヨハネから洗礼をお受けになって、それからすぐに40日間に亘って悪魔の誘惑をお受けになります。そして宣教のための第一歩を踏み出されますが、それが今日のところです。最初のしるし、最初になさったことがここに書いてあったのです。

 

   安息日の習慣    
 イエス様は悪魔から試練をお受けになった後、故郷のナザレのあるガリラヤ地方に帰られてすぐに宣教を始められたようですが、具体的には会堂で教えて、それが皆からの尊敬を集めることになりました。その会堂でどんなことをされたのか、それが16節以下に書いてありました。ナザレでのことです。
 「いつものとおり安息日に会堂に入り」とありました。「いつものとおり」という言い方は「自分の習慣に従って」という言葉になるようです。習慣というものは一年や二年では自分のものになりません。
 先日、この福音書の2章に書いてあるイエス様の12歳の時の話を読みました。両親と一緒にエルサレムの神殿で行われる過越しの祭りに参加したのだけれども、帰りにはぐれてしまったという出来事でした。ここでも「両親は祭りの習慣に従って都に上った」と書いてありました。幼いころから祭りの度に、年に一度は両親と一緒に直線でも120キロ離れたエルサレムにまで歩いて行って、神殿にお参りすることが習慣であった。簡単に言いますが、大変なことです。
 そして13歳になると、厳格な教育を受けた後に、教会で言う堅信礼のようなものを受けて、―逆に、教会がユダヤ教の習慣を真似たと言うべきでしょうが―それから会堂の出入りすることが認められたようです。今も守られている伝統のようですが、要は「自分の習慣に従って」ということは、きっと13歳の時から安息日になると会堂に入って、私たちで言う礼拝を守っていたのです。
 ですから、イエス様が最初になさった宣教は、最初からこれまでの習慣を打ち破ろうとされたのではありません。それどころか、年に一度は神殿に参ること、そして安息日という、私たちで言う日曜日には会堂で、集会所とも呼ばれる私たちの教会と同じような小さな所で礼拝を献げられたのです。これがこの福音書が記す「最初のしるし」です。

 

   会堂での聖書朗読  
 そして安息日に会堂で何が行われていたのか、詳しく書いているのではありませんでしたが、でもそこで行われていた一番重要なことが記されていました。聖書が朗読されたのです。イエス様が座っていた席に、係の者がイザヤ書の巻物を持って来て渡したのです。興味深いことですが、この時代は今のようにイザヤ書や出エジプト記というそれぞれの書簡がまとめて紙に印刷されているのではありません。例えば羊の皮で出来た羊皮紙と呼ばれるものに、手書きしていました。羊の皮ですから分厚いし、イザヤ書だけで66章もありますし、手書きすると字も大きくなります。だからイザヤ書ならイザヤ書だけの巻物があったのです。それを係の者が持ってきた。
 そして今の聖書日課と同じように、読み上げる個所を自分で好きな様に決めるのではなく、もう決まっていた。会堂長か係の者かが決めていたのです。だからその人がイザヤ書を選んで、それを読むようにイエス様に渡したのです。でも、何章、何節を読むということが決まっていたのでもなかったのです。そもそも、何章何節というは今のようにはっきり決められていたのではなかったと思います。ですからイザヤ書の何章、何節に目が留まったとは書いてありません。でもイエス様はご自身が巻物を開かれて、もっとも今に相応しい箇所に目を留め、そこを読まれたのです。それがイザヤ書の61章1〜2節の言葉でした。

 「主の霊がわたしの上におられる」という言葉です。この「わたし」というのは当然イザヤ自身のことですが、それをイエス様はご自分のことイザヤは言っていると言いたいのです。「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれた」というのも同じです。これはイエス様ご自身ことであると。さらに主なる神様がイザヤを遣わしたようにイザヤ書には書いてあるけれども、それもイエス様ご自身のことであると言いたいのです。

 会堂にいた人たちは、イエス様が読まれたイザヤ書の言葉を、それはイザヤのことではなく、これはもしかして今評判になっているイエス様のことではないかと考え始めていたのでしょう。だから、イエス様の一挙手一投足をじっと見つめていたのです。「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」と書いてありました。
 そしてイエス様が最後に言われた言葉、これが一番大切だと思いますので、今日はここに注目したいのです。

 

   預言の意味   
 今、イエス様のイザヤ書61章1節以下の言葉を聞いた会堂にいた人たちが、目を釘付けにされたということを確認しました。そこに書かれている「捕らわれている人に解放を、目に見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にする」ということを実現する人はこの人のことではないかと、彼らは信じたのです。ところが、そのすぐ後に彼らは悪夢から目を覚ましたかのように、「このイエスは所詮、自分たちが良く知っているヨセフの子じゃないか」とすぐに非難し始めるのですが、それは来週読むところですから、今日はそれは触れません。
 今日のところで学びたいことは、彼らはイエス様がイザヤ書で語られた油注がれた人ではないかと信じたということです。自分たちの期待できる人だと確信したのです。でも、彼らが信じたのは、実は的が外れていたのです。
 「捕らわれている人を解放する」というのは、文字通りユダヤの国を支配しているローマから解放する人のことです。植民地のようになっている、自由がない、捕らわれている、この状態から解放してくれるのではないか、それが油注がれた人である。
 「目の見えない人に視力の回復を告げる」という意味は、目の見えない、視覚障害を負っている人の病気や障害が取り去られ、視力を回復してくれる人のことです。イザヤはそういう意味に言ったのではないのですが、でも人々はそう考えたのです。もちろんイエス様は目の障害に留まらず、その他の体の病気や障害で苦しんでいる人たちの健康を回復してくださいました。それはとても重要なイエス様の働きでした。
 でもヨハネによる福音書の9章に出て来る「生まれつき目の見えない人」の癒しの話は、とても大切なことをイエス様が教えていらっしゃいます。その盲人はイエス様によって癒されて、視力が回復したのです。とても恵み深い話です。でもそれで話は終わりません。イエス様の癒しの絶対に認めたくない人たちは、癒された盲人の姿を目にしながらも、また本人の言葉を聞いてもそれを認めない。そこでイエス様が最後に言われたことは、「自分たちのこの目に間違いはない」と、「この目に狂いはない」と言い張っている人が、実は一番見えていないということでした。
 それだけでなく、「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中にある丸太には気づかないのか」(マタイ7:3、ルカ6:41)と言われました。これは誰にも心当たりのあることです。燈台下暗しとも言う言葉がありますが、その通りです。
 ですから、目の治療と医学的な視力の回復の話ではない。たとえ目が見えていても、いや自分はよく見えている、自分はよく分かっていると言いたくなる私たちみんなが、本当に大切なものが見えるようになることをきっとイエス様は言われているのです。

 

   耳で聞くだけでなく    
 ですから、会堂にいた人たちは一斉にイエス様に注目し、自分たちの期待を込めて、羨望の眼差しを向けたのです。でも的を外した眼差しでしかなかったのです。
 だからイエス様は何と言われたでしょうか。「そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」とありました。この最後の言葉はとても大切にすべき言葉だと思いました。皆さんと味わいたい、噛みしめたいのです。
 「あなたがたが耳にしたとき、実現した」という言葉ですが、ある人たちが元々の言葉に忠実に訳しています。ややぎこちないのですが、「あなたがたの耳の中で実現した」とか「あなたがたの耳で成就した」、そういう言葉です。言いたいのは「耳にしたとき」と、時間のことではありません。この耳で、この耳の中で実現したという意味です。ですから「耳元」で実現したに過ぎないのです。
 日本語に「聞きかじり」という言葉がありますが、そういう意味に受け止めることができるように思うのです。まだ彼らはイザヤ書の言葉をただ聞きかじったに過ぎない。言葉をただ上辺だけに受け取っているに過ぎない。だから彼らはイザヤの預言を、ローマから解放されるとか、目に障害のある人が見えるようになる、それがイエス様によって実現するんだと受け止めたに過ぎないのです。
 でもこれは私たちのことでもあるように思えないでしょうか。私たちでもイエス様の教えが耳元で、聞きかじりで終わっていないかという問いです。私は目が見えるので、今日の「目の見えない人に視力の回復を」と言葉は自分にはあまり関係ないと、他人事のように、まさに上辺だけの言葉として受け取っていないかという問いかけです。
 だからそれを「『実現した』と話し始められた」と書いてありました。まだ話し始めたに過ぎないのです。まだ耳もとで聞き始めたに過ぎない。耳から聞きかじったに過ぎない言葉が、「本当にそうだったんだ」と腑に落ちる、心の奥底から聞いて行く、それにはきっと誰もが時間が必要であり、様々な体験が必要であり、時には弟子たちがそうであったように、イエス様の教えに躓くことさえも必要なのです。今年もまだ始まったばかりです。み言葉を耳で聞き始めたばかりである。それが腑に落ちて、心か聞けるようにこの一年間も続けて行きたいと思います。 アーメン
                        (2022年1月23日) 

 

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              知らぬ間のできごと

 

          〔聖書箇所〕 ヨハネ 2:1〜11

 

 

   当時の婚礼  
 今日は「カナの婚礼」と言われるところです。実に微笑ましい話です。婚礼と言いますと私たちにとっても馴染みあることですから、そのイメージで想像を膨らますのですが、この時代の、この地域固有の婚宴のことが書かれていたのです。今とは随分と違ったのです。こと細かいことは分かりません。でも覚えておきたいことは、当時の庶民の生活は決して豊かなものではなかったということです。日々の食事にしても実に質素なものだったのです。ですから、婚礼は花嫁と花婿を祝うことが一番の目的ですが、いつもの仕事からしばし解放され、美味しい食事を食べ、しかも美味しいぶどう酒を飲めるという実に楽しみな宴会の時だったのです。そこに招かれることは本当に喜ばしいことだったと思います。しかもそれが何日も続くほどの楽しみ事だったのです。だから招かれた人たちは美味しいぶどう酒をたくさん飲めることを楽しみにしていた。また、招く方も酒を切らすということは客に失礼になるし、自分の名誉にも関わることだったのです。
 このように当時の婚礼を想像しただけでも、ぶどう酒がなくなってしまったということが何を意味するのか分かるのです。大きな水がめがあって、ひとつで2ないし3メトレテス入りの大きさだったとありました。メトレテスというのは40リットルほどになるそうですから、単純に見ても100リットルも入る水がめが六つも置いてあったのですから、大変な量です。私たちがぶどう酒をビンで注ぐようなものではありません。その用意した量にも驚くのですが、それでも足りなくなったと言うのですから、これはさらに驚きです。でも先ほど言いましたように、どれほど人々が楽しんだ婚宴であったかが分かるのです。

 

   つれないイエスと信頼するマリア  
 さて今日のできごとは、大量のぶどう酒を用意したにも拘わらず底をついてしまったところから始まっていました。そこで婚礼の主催者の親戚であったと思われるマリアが、息子のイエス様に「ぶどう酒がなくなりました」と言ったのです。ところがイエス様はつれないのです。母親に向って「婦人よ」と応えたのです。新しい聖書では「女よ」という言葉になっていますが、どちらでも普通ではありません。もっともこの時代は女性に向ってこういう言い方をすることは普通のことだったようですし、何か女性を蔑視するような意図は含まれない言い方だったそうですが、それにしても普通は母親に向ってこういう呼び方はしない。でも、この呼び方は十字架の際にも息を引き取る前に同じように、母親のマリアに向って「婦人よ」と呼びかけたとこの福音書は書いていますので、きっと意味があったのです。父なる神様の意志をもってこのように言われたとしか言いようがないのです。
 ただ私たちが思いを向けたいのはそれに続いて言われた言葉です。「わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と言われたのです。ここでもやはりつれないのです。しかしさらに驚くのはマリアです。息子の生意気な態度に怒りませんでした。息子の本心を見通しているかのように、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」とマリアは給仕たちに言うのです。すごいことです。「なんの関係があるのか」と、「わたしの時はまだ来ていない」という言葉を表面的に受け取っていない。「わたしの時がまだ来ていない」としても「その時に一歩でも近づけは、何かを起してくれるに違いない」と知っていたのです。それが起こることをもう織り込み済みのような言葉です。私たちが大いにマリアから学ぶべきことだと思うのです。

 

   読むだけで味わえる話  
 すると実際にマリアが信じていたことが起こるのです。これが実に面白いことです。すぐにイエス様は給仕たちに、例の水がめを水で満たすように命じ、それを汲んで、宴会の長のところに持って行くように言うのです。味見をした宴会の世話役はそのうまさに舌を巻くのですが、あまりにも感動して彼は花婿を呼んで、「普通は、最初に上等のぶどう酒を出して、酔いが回ったころには、どうせ舌も麻痺しているのだから安い酒でごまかすものだけれども、あなたは最後にもっと良いぶどう酒を用意していた」と言ったのです。しかし花婿でさえも身に覚えのないことで、彼の知らない間に起こったできごとだったのです。
 さて、この話は聖書を読むだけで十分に味わえるような話でした。なんとなく暖かい気持ちにさせられる内容であったと思いますが、私たちはそれをさらに読み進めたいのです。

 

   ごく日常的なできごと   
 私は今日の話から三つのことを受け取りたいと考えました。まずひとつは、今日の婚礼のできごとは実に取るに足りないようなできごとであったということです。私たちがいつも読んでいる多くのできごとからすれば、実に小さなことのように思えないでしょうか。生死に関わることではありません。長年苦しんで来た人がイエス様の前に願い出ているのでもありません。ぶどう酒が足りなくなることは、客を招いた側からすれば不名誉なこととは言え、いつも私たちが読んでいることからすれば小さなことです。
 でも私たちの日常の生活はそうではないでしょうか。取るに足らないできごとで満ちていると言って良い。その意味ではイエス様が「わたしの時はまだ来ていない」と言われたことはよく理解できるのです。まだ私の出る幕ではない。そういう小さな事ならば私に頼まなくても、他の人に頼めばいいじゃないかということはよく分かるのです。しかし、イエス様はまだ自分の出番ではないと言われながら、そのままに放っておかれなかったのです。これが大事なことではないでしょうか。
 ある人がこう言うのです。ここには「取るに足りない人間の小さな困惑、人間の小さな不幸が、忘れられることなくここに書き記されている」と。しかも今日の奇跡が最初のしるしであったと書いてありますから、とても味わい深いことだと思うのです。小さな奇跡だけれども、しかし大事な奇跡だったということを言いたいのです。私たちも小さな困惑、小さな不幸と遭遇しながら日常を生きています。それを案じ、右往左往しながら生きている。イエス様は他の所で「何を着ようか、何を飲もうかと思い悩むな」(マタイ6:31)と言われたのですが、でも私たちのその小さな悩みごとをもしっかり覚えてくださるかたである、このことを今日学びたいのです。

 

   まだ時が来ていないのに  
 二つ目も今言ったことに繋がることですが、確かにこの時にはイエス様の時はまだ来ていないのです。まだ2章ですから、当然そうです。その時はいつ来るのか、言うまでもなくご自身の十字架の時です。17章になると「父よ、時が来ました」と天を仰いで祈られるのですが、それは十字架を前にした祈りでした。だからその時が今日言われた時である。それはイエス様の使命を果たされる時でもあると言えます。その意味では、今日起こったできごとは、本当の使命を果たされることに比べれば、きっと小さな使命というものでしかなかったのです。にも拘わらず、イエス様は、カナの町に暮らしていた人々にとっての小さな悩みや不幸をも覚えて、彼らにとってこの上ない大きなことをなしてくださったのです。
 ですから私たちは今日のできごとから、その時にイエス様の本当の使命をなしてくださることが、どれほど大きな恵み深いことであるかを想像するのです。十字架のできごとはまさにそうである。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16:10)というイエス様の言葉があります。弟子たちに語られた言葉ですが、それはご自身のことでもあったに違いありません。今日の小さなことに忠実に、ご自身のみ手を伸ばして大きな愛を示されたのであれば、もっと大きなことにどんな大きな愛を示してくださるであろうか、そういう期待が膨らむのです。それが十字架によってこれから示されるのです。十字架の後に起こった復活のできごとは、それを目に見える形で表してくださったに違いないのです。

 

   知らぬ間のこと  
 最後が、花婿でさえ今日のできごとのことを知らなかったことです。ぶどう酒が底をつきそうになって、何とか急場をしのげたということではありません。そんなことならば大したことなかったと私は思います。どうして最後に出て来た酒が、前のぶどう酒よりもはるかに上質のものとなったのか、それが驚くべきことだったのです。しかもそれを招待した者でさえも知らなかったのです。これが今日のカナの婚礼のいわばクライマックスです。それは「知らぬ間のできごとであった」と言い換えることのできることでした。
 私たちには「知らぬ間のできごと」が満ちています。「知らぬ間にそんなことになっていたのか」ということがあります。知らない間に教会の周りの水仙がもう咲いている、これは身近にある明るい話題です。でも、知らない間にウイルスに感染していまっていたとなると深刻な話です。そういう日常的に使う言葉ですが、でも今日のできごとはイエス様のみ手によることです。イエス様がご自身の手を伸ばして、不思議なことを起してくださったのです。しかもそれが、私たちが知らない間に起こっていたということを言いたいのです。
 今日のできごとを最後にもう一度振り返りましょう。花婿は親族や給仕たちの手を借りて、十分に足りるだけのぶどう酒を準備したつもりだったのです。人の手でなしうることを精一杯やったとしても、しかし抜け落ちてしまうことがあるのです。その次に何があったでしょうか。イエス様があえて人の手を借りて、人の手を用いて、水がめに水を一杯満たすまで汲んでもらったのです。もう一杯いっぱいですから、これ以上は人間の手で行うことはないのです。もう精一杯したのです。でもそれで水がぶどう酒に変わることはないのです。いや、たとえ別のぶどう酒で満たしたとしても、これまで以上の上質のものにはならないし、宴会の世話人が心底感動を与えることはないのです。人間のなしうることの限界をここに知らされるのです。
 しかしそれは私たちを落胆させるためではないと思うのです。自分のできることの限界を本当に知った信仰者は、落胆し落ち込むのではありません。それ以上のことはイエス様に委ねればいいということを知るのです。もう安心して神様に任せれば良い。きっと私たちの知らぬ間に、私たちの精一杯行ったことが祝福され、驚くほどの見事なものに変えてくださるに違いない、それを信じれば良いのです。私たちの日々の生活も、私たちの人生もきっとそうであると私は信じるのです。 アーメン
                        (2022年1月16日) 

 

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            わたしの愛する子という声

 

       〔聖書箇所〕 ルカ 3:15〜17,21〜22

 

   「イエスの洗礼」の二つの主題    
 今日は「主の洗礼」という教会の暦になります。イエス様の洗礼の箇所を読むのが慣わしですが、今年はルカによる福音書を中心に読んでいますので、今日もルカ福音書からの洗礼を記事を読みました。
 ご記憶の方もいらっしゃると思いますが、今日の箇所は12月の待降節第三主日にも読みました。3章7節から18節までを読んだのですが、今日はまったく同じところを読んだのではありませんけれども、かなりの箇所がだぶっています。なぜそうなのかやや不可解な感じがするのですが、同じ箇所でも読む目的が違うのだと思います。待降節はクリスマスを相応しく迎えるための準備の時です。ですから、洗礼者ヨハネがイエス様の到来を待つために、その備えのために人々に洗礼を授けていたのですから、洗礼の話から「備える」ということについて学んだのです。
 しかし今日は、イエス様自身の洗礼のことが主題です。ですから今日読んだ後半が中心となります。そこで21節から22節までを中心に耳を傾けて行きましょう。

 

   イエスの洗礼の違い  
 イエス様も他の民衆と同じように洗礼をお受けになりました。祈りを献げていると、天から開けて、聖霊が鳩のような姿をとってイエス様の上に降って来たのです。聖霊が目に見える姿で現れたのです。そして今度は天からの声がしたのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声でした。これだけのことでしたが、しかしこの出来事は実に豊かな内容を含んでいたと私は思ったのです。
 イエス様の洗礼について語る時に指摘されることが、この時の民衆や今の私たちの洗礼とは違うということです。皆さんも幾度となく耳にされたことでしょう。私たちの受ける洗礼は罪の赦しを目的としています。これはキリスト教に限ったことではありませんが、宗教に共通していることです。水を用いて罪を洗い流してもらうというものです。
 インドのガンジス川の沐浴という宗教行事を見ることがあります。決して衛生的とは言えないような汚れた川に入って、身体を沈め、顔を洗い、口をすすぐ敬虔な信仰者の姿です。私たちは水の汚れや衛生面の方に目が行きがちですが、それは私たちが誤っているのです。衛生面での汚れの問題ではない。内面の罪のことです。神様との関係での罪のことです。この世の法律に触れたという犯罪のことでもない。まさに宗教的な罪です。それはキリスト教でも同じです。罪人である私たちは、洗礼を通して、水で洗い流すというやり方で、罪を洗い流していただく、それが民衆や私たちの洗礼の目的です。
 しかしイエス様の場合には、その罪というものがない方であった。罪を犯すということが当てはまらない方であった。だから民衆と同じように洗礼をお受けになる理由がなかったと教会は伝統的に考えて来ました。イエス様の洗礼と私たちの洗礼とは目的が違うのです。罪はない方であったけれども、人と同じようにまるで罪があるかのように、人にところまで降りて来てくださった、それがイエス様の洗礼であった、簡単に言えばそれがイエス様の洗礼でした。意味が違う、目的が違うという具合に、その「違い」のことが語られるのです。

 

   イエスと私たちの洗礼は違う?   
 ですから今日の出来事は当然、イエス様は私たちとは違って、特別な方であり、まさに神の子だから、聖霊が鳩のように見える姿で降って来たのだろうと考えます。同じように、イエス様の洗礼は特別だから、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたのだろうと読んでしまいます。皆さんもきっとそうではないでしょうか。事実、ここにいらっしゃる皆さんの多くが洗礼を受けていらっしゃいますが、ご自身の体験からも「そんなことはなかったなあ」とご記憶のことでしょう。私ももちろんそうでした。多くの者が体験することですが、洗礼を受けるとその時になにか特別なことが起こるのだろうかと、何か劇的な変化が起こるのだろうとやや期待するところがあるのですが、普通には特別なことが起こらないのでややがっかりするのがむしろ普通です。
 皆さんの体験は私とは違ったかも知れませんが、私の場合にはそうでした。どこかで、イエス様の洗礼のときの出来事を期待していたのかもしれないと、後で振り返ったことを記憶しています。ですから、今日の出来事は、イエス様が特別なのであって、私たちの洗礼とは違うのだから、こういう不思議なことが起こったのだろうと受け取るのです。
 しかし、そうだろうか、私は今は思うのです。例えば、これから洗礼をお受けになる方がいらっしゃると思いますし、またそれを願っていますが、でも一昨年のクリスマスの洗礼式の時も特別なことは起こりませんでしたので、これからの洗礼式でも今日のイエス様のような出来事はきっと起こらないと思います。でも私は今思うのです。本当にイエス様の今日の出来事は起こらないと言えるのだろうかと。イエス様の洗礼と私たちの洗礼は「違う」ということを言いきって良いのだろうかと、そう問いたいのです。
 いや、そういう捉え方が違うのではないかと言いたいのです。洗礼を受けた時、また洗礼をこれから受ける方であっても、天が開けて、聖霊が鳩のように降って来るのです。それが私たちの、この肉の目には見えないだけに過ぎないのです。だからイエス様とは「違う」ということよりも、むしろ「同じ」ではないかと受け取りたいのです。それが今日の出来事の豊であるし、もしそうでなかったら私たちはイエス様の洗礼の傍観者でしかないのです。天からの声も同じです。もちろん私たちの耳には聞こえない。でも天から確かに声がしたのです。それを今日のみ言葉は言いたいのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が私たちには確かに向けられたのです。イエス様の同じなのです。それを私たちはしっかり読み取らないと今日の話の豊かさはないと思うのです。

 

   たとえ見えず、たとえ聞こえずとも  
 今日のこの出来事は、実はイエス様にとってもとても重要な意味を持って行ったのです。それは十字架の時です。この福音書には書いていないことですが、十字架の苦しみの最中に、イエス様が天に向かって絶叫されたことを私たちは知っています。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)という叫びです。これは今日の出来事で言えば、イエス様は洗礼の時と同じように、天が開けて、聖霊が鳩のように降って来て、助けてくれることを願われたのだと思います。天から神様の声があって、イエス様を直接励ます声をイエス様は必至で求められたのです。今日の洗礼の記憶をイエス様はきっとお持ちだったでしょうから、その時と同じように天から聖霊が降り来て自分の上に降りて来てくれるように願ったのです。でも聖霊の姿も見えず、天の声も聞こえなかったのです。
 この十字架の時が私たちと同じだと言った方が良いのではないでしょうか、私はそう思います。でも大事なことは、イエス様はあの十字架の苦難の中でも、神様に泣き言を言われたとしても、しかしどこかで今日のこの出来事をしっかりと持ち続けていらしたに違いないのです。苦しみの中で、たとえ聖霊の姿が見えなかったとしても、あるいは天からの声が聞こえなかったとしても、しかし聖霊は決して見捨てていない。天の声は聞こえなくても、でも神様は確かに語りかけているのです。変な言い方ですが、沈黙しながら語りかけている。
 それどころか、Uコリント書12章に書かれているように、今度はイエス様ご自身が私たちに語りかけ、励ましてくださっている。それがたとえ直接目に見えなくても、見えるということがある。たとえこの肉の耳には聞こえなくても、しかし沈黙の声が聞こえるということがある。それを疑ってはいけないのです。そう励ましているのが、今日のイエス様に起こった出来事ではないでしょうか。イエス様と私たちは「違う」ということを読むために今日のみ言葉を読むのではない。それどころか、イエス様に起こった今日の出来事は、同じように私たちにも起こったのだし、これからもそうである。このことをいつも心に留めおくならば、今日の話は私たちそれぞれにとって、実に豊かなものになるに違いないのです。

 

   「わたしはあなたを喜ぶ」という声  
 そしてもうひとつどうしても触れなければならないことがあります。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」、天からそういう声が聞こえたとありました。「わたしの心に適う者」という言葉は、ある人たちは「わたしはあなたを喜んでいる」と訳しています。「わたしの心に適う者」という言葉がおかしいということではもちろんありませんが、むしろ「あなたを喜んでいる」という方がより元もとの言葉にもより相応しいのです。「わたしの心に適う者」と言いますと、適う者と適わない者がいるような感じがして来ます。イエス様には誰もそんな疑問は持ちませんが、しかし私たちの場合には、合格する者としない者がいて、洗礼を受けてようやく合格した、試験にパスしたと神様に言われているような感じがして来ます。
 でも「わたしはあなたのことを喜んでいる」とは、そういう響きはないのです。神様にとっての喜びである。あなたはわたしの愛する子である。その愛する子が、洗礼を受けた。それはもうこの上ない喜びである。これは貴いことではないでしょうか。拘りますが、合格して、神様に「私の心に適った」と褒められることはもちろん嬉しいことである。でも、神様に「あなたのことを喜んでいるよ」と言われることがより祝福に感じるのではないでしょうか。
 この神様の喜びを語る譬えがこのルカによる福音書15章にあります。「放蕩息子」の譬えです。あの父親の言葉を思い起こします。放蕩に放蕩を重ねて帰ってきた二人息子の弟を父親は本当に喜んだのです。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」と父親は言ったのです。
 父なる神様の喜びの声を聞いたイエス様どうなったのか。この後すぐに荒野に向い、そこで悪魔からの誘惑をお受けになります。そしてそこから宣教が始まりました。きっと私たちも同じです。「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜んでいる」という声が、たとえ直接には聞こえなくても、その声を聞く人が宣教へと送り出されるに違いないのです。私たちの新年の歩みも、この一年もこの声を直接聞かずとも、この声を喜びとしながら遣わされて行きましょう。 アーメン
                        (2022年1月9日) 

 

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               恵みと真理の人

 

          〔聖書箇所〕 ヨハネ 1:14〜18

 

   「恵みと真理」という言葉    
 今日は顕現主日として礼拝を行うことが通常ですが、降誕後の第二主日として行うこともできますので、今日はそちらを覚えて行います。
聖書の箇所はヨハネ福音書の1章の14節以下でした。クリスマスの礼拝で1章14節の言葉までを読みましたので、今日はその続きを呼んだのです。まさに「降誕後」の言葉として14節以下を読んだのです。
 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」、これはイエス・キリストの誕生のことでした。そして次の言葉です。「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。神の子として誕生されたイエス・キリストは栄光に輝いていたと言うわけです。ルカによる福音書では、羊飼いたちのところに天使が近づき「主の栄光が周りを照らした」とありますので、このことにつながる言葉だと思いますが、その栄光のことを「恵みと真理とに満ちていた」と言い換えています。
 この「恵みと真理」という言葉はもう一度17節でも出て来ます。「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」と。ですから、誕生された幼子はイエス・キリストは、この時すでに「恵みと真理とに満ちていた」と言い、そしてこれから「恵みと真理は」イエス・キリストの教えと生き方を通して現れると言うのです。
 ですから今日の福音書は「恵みと真理」という言葉がとても大切な言葉として書かれていることが分かるのです。

 

   ヨハネの福音書の特徴  
 ただ、今日ここでまず私たちがしっかりと確認したいことがあるのです。それはこの福音書のイエス・キリストの描き方です。私たちは4つの福音書があることを知っています。それぞれに特徴があり、それぞれの描き方をしていることも知っています。
 例えばマタイによる福音書はこういう書き方をします。最初にやや退屈なイエス・キリストの系図を長々と書くことから始めます。それが終わると「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが…」(1:18)という具合に書いています。これが一人の生涯を描いて行く場合には普通であろうと思います。誕生を時のことから始めて、順序を追って書いて行く。他の福音書も基本的にはそれと同じです。誕生の前の出来事をより詳しくルカによる福音書は書いていますが、でもイエス様のご生涯を、順序を追って書いて行く、これは同じです。
 しかし今日のヨハネの福音書はちょっと違います。最初に「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」と、もう答えを先に言ってしまっている、そういう感じがするのです。18節でも「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」と言っています。もう結論めいたことを最初に言っている。

 

    「真理」について 
 ですから「恵みと真理」ということで言えば、この福音書には「真理」という言葉がこれから頻繁に出て来ます。他の三つの福音書には「真理」という言葉はほとんで出て来ません。例えば「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)という言葉がありますし、「真理はあなたたちを自由にする」(8:32)ともある。もう一つ挙げるなら、イエス様を裁いたピラトはイエス様に「真理とは何か」(18:38)と尋ねる言葉さえあります。
 だから最初に「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」と言って、これからこのことを書いて行くから、それをしっかりと読み取って欲しいという願いを語っていることでもあると思います。だから今日私たちがここで「真理」とは何のことかを学ぶのではありません。これから書いてある。そこを読むわけです。
 このことは新年を迎えた私たちに実に相応しいことを教えているようにも思えるのです。私たちも新しい一年の歩みを始めて行きます。それは聖書を、殊にも福音書を中心に礼拝を読んで行くことでもあります。確かにクリスマスの話も「恵みと真理とに満ちていた」ことであった。でもそれは始まりであって、これからイエス・キリストのご生涯を学び、その教えを読んで行きますが、それは「恵みと真理がイエス・キリストを通して現れている」ことを確認し、心に刻むことだと言わなければなりません。

 

    「恵み」について 
 そして「恵みと真理」の二つのうちの「恵み」のことを触れなければなりません。この「恵み」という言葉も意外なことですが、この福音書以外では、ほとんど出て来ない言葉です。もっとも繰り返し出て来るのはパウロの手紙です。だから私たちは「恵み」という言葉に耳慣れていますが、でも福音書にはあまり見ることがない。この福音書でも今日読んだところにしかないのです。言い方を変えると、ここにしかないことばが「恵み」という言葉である。だから、特別な思いがきっとあるのです。
 ではどんな思いか。16節にこうありました。「わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」と。イエス様からは、こんこんと湧き出る尽きることない豊かな泉のように溢れ出る恵みがある。そして「恵みの上に、さらに恵みを受けた」とありますが、ここをある人は「私たちは、恵みに恵みを重ねて受け取ったのだから」と訳しています。恵みが幾重にも重ねて、私たちはみんなイエス様から受け取っている。そういう意味です。
 私たちはこの二年間ほど、毎日毎日新型コロナウイルス感染の情報を幾重にも重ねて耳にし来ました。第一派から始まって、もうすぐ第六派まで感染の波が繰り返し、幾重にも押し寄せている。それだけでなく、様々な苦悩と悲しみの知らせが幾重にも覆いかぶさって来る。残念ですが、今年もそうかもしれないと誰もが考えるに違いない。それらをこのヨハネの福音書は「暗闇」という言葉を使ったのですが、でもさらによく読んで行くと、いつの時代も存在する「暗闇」のことを言いたいのではないことが分かるのです。暗闇の中で輝いている光があることを言いたいのです。むしろ、その光があることを信じることができず、それを知ることのできないことを本当に「暗闇」と言っているように私は考えるのです。

 

   恵みが幾重にも  
 「恵み」という言葉に戻るならば、様々な気の重くなるようなことが幾重にも押し寄せるとしても、「この方の満ち溢れる豊かさの中から、私たちは、恵みに恵みを重ねて受け取ったのだから」、その恵みのことを知って欲しい。これからその恵みと、そして真理がイエス・キリストを通して現れていることをここに記して行こう、そう語っているのです。
 新年を迎えた私たちは、その満ち溢れる恵みの方に目を注いで行きたいのです。闇の世界を嫌と言うほど見せられたとしも、それを上回って、幾重にも恵みが覆っているという、こちらの現実に目を注ぎたいです。そのためにこれからイエス・キリストの教えとそのご生涯を学んで行くのです。
 そのこの「恵み」という言葉について、もうひとつ付け加えなければなりません。この後私たちは聖餐に与ります。聖餐式の杯のことを「カリス」と言います。教会での伝統です。この「カリス」とはギリシャ語のカリスに由来する言葉なのですが、それは「恵み」という意味です。今日の福音書の「恵み」という言葉もカリスなのです。
 聖餐はイエス様の溢れ出る恵みをいただくものです。それは罪に赦しのしるしであり、またまことに私たちと共にいてくださるということを示すしるしでもあります。この聖餐を私たちは今年も幾重にも、繰り返し与ります。恵みに恵みを重ねて受け取ったことをこの聖餐を通して確認するのです。
 そのような私たち信仰者のこの一年の歩みを、神様は祝福してくださるに違いありません。またそのような一年となることを祈って参りましょう。 アーメン
                        (2022年1月2日) 

 

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             少年イエスの出来事

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 2:41〜52

 

   少年サムエル   
 クリスマスから一日を経たばかりですが、今日はイエス様が12歳になったときの話です。他の福音書ではイエス様の誕生からすぐ宣教を開始された30歳ごろのときへと移りますが、この福音書だけが12歳の少年イエスのときに起こった出来事について記しています。
 そもそもどうして12歳のときなのかと不思議に思いますが、先ほど読んでいただきました旧約聖書のサムエル記の話がひとつのヒントを与えていると言われます。少年サムエルのことがそこに記されていたからです。サムエルは幼くして神殿の祭司であったエリという人に預けられ、祭司になるべく見習いをしていたのです。今日の2章18節に、祭司の「下働き」として仕えていたとありました。26節には「少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった」と書いてありました。今日の福音書の最後にも「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」とありますので、とても似たことが書いてあることが分かります。
 3章になりますと、主なる神様が寝ているサムエルに呼びかけるというとても有名な話が出て来ます。サムエルは祭司のエリが読んだのかと勘違いしてすぐにエリの枕元に駆け付けるのです。しかしエリは「わたしは呼んでいない。戻ってお休み」と言うのです。サムエルは戻って寝るのでが、しばらくするとまた神様がサムエルを呼ぶ。またサムエルはエリのもとに行くのですが、エリは「わたしは呼んでいない」とまた言います。またサムエルは布団に入るのですが、また主がサムエルを呼ぶのです。サムエルも三度エリのもとに走るのですが、エリはサムエルを呼ばれたのは主なる神様であると悟るのです。そしてサムエルに、また主が呼ばれたら「主よ、お話しください。僕は聞いております」と言いなさいと命じたのです。そして四度サムエルを呼ばれたので、サムエルはエリの教えの通り答えて、この時からサムエルの預言者としての使命をはっきり自覚して行くのです。とても心を打つ話です。「主よ、お話しください。僕は聞いております」、私たちが祈りにおいて、また聖書を読み、礼拝で説教を聞く時にももっとも重要で、もっとも基本的な姿勢です。それは説教を準備する時の牧師自身にも当然言えることです。
 サムエルが主なる神様に召されたのが、12歳の時であったと言われることがあります。はっきりと書いてあるわけではありませんので、そう言われることがあるとしか言いようがないのですが、でもユダヤ人は今でも言うところの「元服式」を女子は12歳、男子は13歳の時に行う習慣があるそうです(皆が行うのではないようですが)。モーセの教えを自覚する、そういうために行うようです。今日のイエス様の話にも通じるところがあるように思います。

 

   神殿の少年イエス  
 少年イエスも12歳になったので、多くのユダヤ人たちがそうであったように、親に連れられて神殿でお参りするためにエルサレムまで出かけたのです。実に呑気な話ですが、家族が一緒に帰るのではなかったのです。でもそれは珍しいことではなかったようで、一日たってようやくマリアとヨセフは息子のイエスが親類のグループの中にもいないことに気づいて、さすがに心配になったのです。一日かけて引き返して、それから三日もエルサレム町中を捜し回ったのです。ところが当の少年は、親が心配して捜し回っていることも気に掛けず、神殿の中で律法や祭りごとに詳しい教師たちを議論していたと言うのです。

 ただここに書かれてあることは、意外なことではないでしょうか。私たちは、イエス様は神の子なのだからすべてはお見通しであると、もう少年の時からすべてをご存じであったのであろうと勝手に推測しますが、実はそうではなかったのです。神殿で何をしていたのかと言いますと、神殿の専門家たちから「話を聞いたり質問したりしておられた」(46節)と書いてありました。少年イエスが教えるのではなく、彼らから話を聞いていたのです。まず彼らから学んでいたのです。その中でイエス様が逆に質問されることもあったのでしょう。そこでの受け答えに人々は大いに驚嘆したのです。

 

   神殿という教会  
 その光景を両親は発見し、どこの親でもするように少年を叱ったのです。「なぜこんなことをしてくれたのです」という訳になっていましたが、きっともっと砕けた訳が相応しいのでしょう。母親ならば「なんでこんなことをしたの」と言うでしょう。「お父さんもお母さんもどれだけ心配して捜したと思うの」と咎めたのです。当然のことです。しかし少年の返答は実に冷静でした。「どうしてわたしを捜したのですか」と言われたのです。「親に心配をかけて、口答えするのか」と、カチンと来てまた??りつけたいところだったのでしょうが、その次の言葉に母親のマリアは口を閉ざすしかなかったのです。
 「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」という言葉でした。この「自分の父の家」という言葉ですが、今日の話は神殿の境内での出来事ですから、「自分の父の家」とは神殿のことだと分かります。サムエルがいつも神殿にいたように、イエス様も神殿にいる、それは当然ではないか、そういう意味かも知れません。ですから、このルカによる福音書の最後は、イエス様が十字架を経て復活されて、天に昇って行かれた後で、弟子たちは「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」という言葉で終わっています。イエス様の姿は見えなくなっても、弟子たちは神殿に絶えずいることで、ここにイエス様はいてくださるのだという信仰を持っていたのでしょう。
 この神殿とは、私たちにとってはこの教会であると、この礼拝堂であると言い換えることができると思います。だから、教会という建物、このような目に見える形の神殿というべきものは大切なものです。「わたしが自分の父の家に、この礼拝堂にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と、私たちに少年イエスが語りかけていると言えるのではないでしょうか。
 今日で今年の礼拝は最後になりますが、「わたしがいるのは当たり前ではないか」と言われる礼拝堂に集えたことは、祝福であったし、新しい年もそのことを大切にするものでありたいと願うのです。

 

   もうひとつの神殿 
 そしてそのことと同じように、成長されたイエス様がこれから教えてくださることにも目を向けなければなりません。と言うのは、イエス様のご生涯を辿るならば、神殿にお参りすることに特別に熱心さだったわけではありませんでしたし、それどころか神殿がいつか無くなってしまうということをご存じでした。ですから、「神殿だけにイエス様がいるのが当たり前ではないか」ということだけでは十分ではないのです。神殿だけではない、そしてこの礼拝堂だけではない、このことの確認です。ではどこにイエス様はいるのか。それが次のことです。

 

   飼い葉桶と土の器   
 私たちはつい一昨日の礼拝でクリスマスを祝ったばかりです。先週の日曜日の礼拝でもそうでした。そこでこのルカによる福音書にしか書いていない、飼い葉桶のことを思い巡らしました。マリアとヨセフは初めての子を「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」という行です。幼児イエスは飼い葉の中にいたのです。このことは実にたくさんの恵み深いことを私たちに教えているのです。
 そもそも飼い葉桶とはどんなものか、よく語られることです。決して綺麗なものではありません。むしろ家畜の唾液に汚れ、粗末で、たくさんの傷があるものです。しかしそこに神の子が一晩中いたのです。これは何を意味するのか、想像するのです。飼い葉桶は私たち自身のことではないかと言われることがあります。確かにそう考えると、飼い葉桶にイエス様が寝かされたことが実に恵み深いこととして響いて来ます。
 私は、第二コリント書4章で語られていることもそうではないかと思うのです。「土の器」と呼ばれる有名な箇所です。「わたしたちは、イエス・キリストという宝を土の器に納めています」(4:7)と書いてあります。土の器とは私たち自身のことです。粗末で、罪に汚れ、傷があり、そして壊れやすいものです。それだけでは何も誇れないものであっても、その中にイエス・キリストという宝ものがいるのであれば、それは何と貴いものかと言うのです。皆さんも一度ならず聞かれたことのある言葉でしょう。
 飼い葉桶の中に幼児イエスがいたのであれば、土の器である私たちの中にもいるのは「当たり前だということを、知らなかったですか」、これが今日私たちにも語りかけている少年イエスの声ではないかと思うのです。

 

   心に納め続ける   
 少年イエスの言葉の意味を両親はよく分からなかったのです。しかしマリアは「これらのことをすべて心に納めていた」とありました。実に素晴らしい言葉です。イエスの知恵が増したと最後にありましたが、マリアもそうだったのです。この世の知恵とは異なるものです。たとえ今分からなくてもそれが「知恵がない」という意味ではありません。むしろ神様のことはすぐに分かるはずがないのです。大切なことは、その時理解できないとしても、心に納め、その問いを保ち続けることです。神の教えに、聖書の言葉に敬意を払い続けるのです。その姿勢こそが「知恵」である。私たちもマリアの信仰に学び、それを模範として新しい年を迎えたいのです。 アーメン
                        (2021年12月26日) 

 

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               夜を照らす灯

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 2:1〜18

 

   命じられた住民登録  
 今日はルカによる福音書の2章1節から20節まで読みました。誰もが知っている話です。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」、お馴染みの出だしですが、続けて、「これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である」と書いてありました。ここでしか聞くことのない人物の名前まで出て来るのですが、どうしてこんなことまで書いてあるのだろうかと考えてしまいます。
 「住民登録」と言いますと、どうしても私たちの今の感覚で考えてしまいますが、この時代は当然それとは異なるものです。税金を納めさせるためという意味ではこの時代も今も変わらないところもあるのですが、しかしやはり全然違ったのです。それが次に書いてあります。「人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った」と。「旅立った」と聞くと、なんだか旅行気分だったかのような印象を受けるのですが、もちろんそうではありません。命令です。今住んでいるところで登録するのではない。今住んでいるのはガリラヤ湖の近くのナザレだったのですが、マリアの夫ヨセフの一族がもともと住んでいたのがベツレヘムだったので、そこまでわざわざ出かけて登録することが義務付けられていたのです。しかも夫のヨセフが代表して登録すればいいのではないかと、私たちは考えてしまいますが、身重のマリアも一緒に登録しなければならなかったのです。これも命令です。私たちの感覚からすれば無理難題に聞こえます。抗議すればいいではないかとさえ思えます。実際のこの時代、この地域ではローマの横暴さに抵抗して、武器を持って戦いに挑む人々がいたのです。でも圧倒的な力の前にことごとく破れ、それが決定的になったのが70年でした。エルサレムに神殿が破壊され、ユダヤの国もなくなるわけです。だから、いくら理不尽でも、従わざるを得なかったのです。

 

   翻弄されたマリアたち  
 ここまで今日の福音書の初めに書かれてあることの背景を短くお話ししましたが、私たちがその背景を大まかに知るだけでも、ローマは横暴であると、人権を無視していると感じてしまうのですが、でもそれを福音書が一番言いたいのではないと思います。時の政治の横暴さによって、翻弄され、それに従わざるを得なかった人々の悲しみを描いているのではないかと思います。住民登録を命じた後に何が起こったのかが次に書いてあるからです。
 「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(6〜7節)とありました。マリアは家畜小屋で出産するしかなかったのです。予定よりも早く出産することになったために、慌てて泊まる宿を探したのですが、でもどこも埋まっていて、宿屋には彼らの泊まる場所がどこにもありませんでした。時の支配者に翻弄される二人の姿がここに描かれていると私は思うのです。でもそれはいつの時代にも繰り返されていることではないか、そう考えざるを得ないのです。抗えないのです。不満を持ち、文句を言いたくてもできないです。結局自分たちがそのしわ寄せを被るしかない、そういう事態です。
 ですから今日の福音書に書かれてあることから、家畜小屋に泊らざるを得なかったこと、そこでマリアは出産しなければならなかったこと、そして飼い葉桶に生まれた子供を寝かせたことは実に悲しい出来事であり、屈辱的なことであったということをまず受け止めなければならないと思います。だから、家畜小屋にきらびやかさはないのです。絢爛豪華な光景もないはずなのです。実際のイエス様の誕生とは、実に質素で、薄暗い光景でしかないのです。
 ところが、いつの間にか私たちは実際の出来事とかなり異なるクリスマスを描いているのではないかと振り返るのです。

 

   レンブラントの「羊飼いの礼拝」 

 少し話が変わりますが、先週クリスマスを題材にした絵画をパラパラと見る機会がありました。ヨーロッパを中心にした有名な画家たちがたくさんの傑作を残していますが、共通していることは大変きらびやかに描かれていることです。でもそういうものと違うモチーフで描いている絵にどうしても目に留まるのです。それはオランダの画家であったレンブラントが描いた「羊飼いの礼拝」という絵でした。機関誌「るうてる」の12月号に7月に引退された太田一彦牧師の心に残る説教が掲載されましたが、その挿絵が丁度レンブラントの「羊飼いの礼拝」でした。ご覧になったことと思います。17世紀の作品です。
 何が目に留まったのかと言いますと、彼の描いた家畜小屋は実に薄暗く、粗末に描かれていることです。だから正直、見栄えのする、美しい絵ではありません。でもルカによる福音書に描かれるイエス・キリストの誕生の光景を描くとすれば、きっとこういう光景だったのだろうと思わせるものです。レンブラントは「光の魔術師」と言われている人ですが、光と陰を実に巧みに描きながら、自ずとその光の中に引き込まれるように描くのです。その光はどこから発せられているかと言うと、飼い葉桶のイエス様なのです。その灯がマリアをもっとも強く照らし、そしてヨセフを照らしている。そして羊飼いたちを照らしている。
 実はこのことは以前皆さんにお話ししたことがあるのですが、でも今回新たに気づかされたことがありました。三人の占星術の学者たちは後ろに退いて、微かに描かれているに過ぎないことです。他の多くの絵は、三人の学者たちをきらびやかに描き、三つの宝物を献げる姿をよりはっきりと描く傾向があるように思うのですが、でもレンブラントは違うのです。「羊飼いの礼拝」という題材ですから、当然と言えば当然なのですが、でも私はとても大事なことであると思ったのです。

 

   天使が選んだ証人たち  
 もう一度み言葉に戻りますが、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(7節)と書いてありました。その前には「人々は皆、住民登録するためにおのおの自分の町へ旅立った」(3節)と書いてあった。でも羊飼いたちはこれらのことに当てはまるのだろうかと考えてみたのです。もともと彼らには宿はないのです。野宿ですから、家畜小屋さえもありません。さすがに冬の間は屋根のあるどこかに宿をとったのでしょうが、でも今日のところには「夜通し羊の群れの番をしていた」(8節)とありました。だから眠ることもなく野宿していたのです。住民登録はどうか。彼らは移動するわけですから、住所を持たない。だから登録しようがない人たちではなかったかと想像するのです。
 その彼らに天使が喜びの知らせを告げたのです。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」(11節)という知らせです。しかも「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(12節)と告げました。これは「飼い葉桶に眠る幼子をお前たちが見て来なさい」という命令でした。つまり、あなたたちが救いの主の誕生の証人となりなさいという命令であり、祝福だったのです。

 

   証人に選ばれた羊飼いたち   
 実は証人になるということは、とても大変なことでした。今もそうですが、何かの証人になるというのは簡単なことではありません。信頼できる人でないといけない。だから誰でも証人になることはできませんでした。
 例えば旧約聖書にルツ記という書簡があります。ルツというのは夫をなくす未亡人ですが、ルツ記にはボアズという人物が出て来ます。この男は、今日「ヨセフもダビデの家に属し」という言葉がありましたが、そのダビデの曽祖父、ひいおじいさんに当たる人です。この人がルツを引き取ろうとするのですが、その手続きをするために証人を立てるというところがあります。町の信頼できる長老から10人を選ぶのです。そういう厳格な手続きをして選ばれた人が初めて信頼できる証人となる。これが一例です。
 このような伝統から言えば、住民登録をしないで、家も持たないのですから、到底信頼できる証人にはならないはずです。でもルカの福音書によれば、ベツレヘムの家畜小屋の飼い葉桶に眠るイエス様を見届けたのは、その羊飼いたちだけであったと書いています。私たちは絵画やクリブ(飼い葉桶と羊飼いたちの模型・人形)に見慣れて、飼い葉桶の周囲に羊飼いも3人の学者たちも一緒にいるのを当たり前と受け止めますが、それはクリスマスの楽しい習慣ではあっても、正しくはありません。家畜小屋の飼い葉桶を見つけたのは羊飼いたちだけです。3人の学者たちが出て来るマタイ福音書には「(彼らが)家に入ってみると、幼児がマリアと一緒にいた」(2:11)と書いてあるからです。だからレンブラントは、3人の学者たちをずっと後ろに微かに描いたのです。これほどの重要な証人になったのは羊飼いたちであった。実に素晴らしいことです。

 

   マリアを励ました飼い葉桶  
 では羊飼いたちはどんな証人になったのでしょうか。何か特別なことをしたのでしょうか。そうではありません。彼らは天使から聞いたお告げに従い、飼い葉桶を見つけるために出かけたのです。そしてそこに確かに神のみ子がいることを目に焼き付けたのです。そして神をあがめ、賛美しながら、これまでと同じ羊飼いの働きを続けたのです。何も特別なことではない。立派な証人になろうと、どうかして人々を説得しようともしなかった。でも神様が彼らを用いたのです。その時に何がおこるのでしょうか。
 19節にこう書いてありました。「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と。マリア自身が神の子イエスを出産したことをきっとよく理解していなかったのです。もしかしたら、家畜小屋で出産し、飼い葉桶の中に寝かせなければならなかったことを受け入れていなかったのかもしれません。でも羊飼いたちから、その飼い葉桶こそが救い主がお生まれになったしるしであることを聞いたのです。それは屈辱でも、悲しみでもなく、神の祝福のしるしであることを心に納めたのです。まだ腑に落ちていないのです。だから心に納めて、羊飼いたちの言葉を思い巡らしたのです。それが大事なのです。納得行くまで、あきらめずに、腑に落ちるまで心に納め、思い巡らしたのです。だから先ほど、レンブラントの絵ではマリアが一番明るく照らされていると言いましたが、それはマリア自身が飼い葉桶によって一番励まされたことを言いたかったからではないかと私は考えたのです。

 

    ふたつのこと  
 今日のマリアとヨセフは、今の私たちと似ていないでしょうか。飼い葉桶の夜が二人を覆っていたのです。時代の支配者によって翻弄されていたことを実に適切に表現していたのですが、私たちは新型コロナウイルスをもっとも象徴的なこととして、やはりそれに翻弄さて、それに従わざるを得ないこの一年間を過ごしました。教会はしばしば飼い葉桶に譬えられます。器がそれに似ているからです。でも大事なことは、その中にイエス・キリストがいてくださることです。それに励まされた一年ではなかったかと思うのです。まさに、夜を照らす灯がここにある、それを覚えなければならないし、それを大切にする新しい一年を送りたいのです。
 さらに、名も無き羊飼いたちが、マリアたち以上に過酷な毎日を送っていたと思われる彼らが、飼い葉桶のイエス様を証しする人として用いられたのです。今日の旧約聖書はイザヤ書52章7節からでした。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」という言葉がありました。私たちも同じです。彼らは神をあがめ、賛美したのです。それが人々を励まし、クリスマスの飼い葉桶の出来事が、実に恵み深いことであることを私たちも知ることとなったのです。私たちもそうしたいと思うのです。 アーメン
                        (2021年12月19日) 

 

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           キリストを指差した人たち

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 3:7〜18

 

   ヨハネという修験者  
 先週に引き続き、今日も洗礼者ヨハネにまつわるところの福音書で読みました。他の福音書にはヨハネは人のいない荒れ野を住み家として、ラクダの毛衣を着て、食べ物はいなごと野蜜であったと書いてあります。日本では山に籠って厳しい修行する人のことを「修験者」と言いますが、それと同じような厳しい毎日を送るのですから、きっと威厳のある姿だったことでしょう。そして悔い改めを説く力強い教えを説いていたのですから、口先の教えではありません。人々は惹きつけられるように彼の元に足を運び、彼から悔い改めの洗礼(バプテスマ)を受けたのです。
 ですから民衆はヨハネがメシア(これは「キリスト」という言葉ですが)ではないかと考え始めていました。しかしそれをヨハネはすぐに打ち消したのです。「わたしよりも優れた方がこれから来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない」(16節)と言ったのです。それがイエス様であることは言うまでもありません。この後すぐにイエス様がやって来られて、民衆と同じようにヨハネから洗礼をお受けになる話がすぐ後に書いてあります。このことはこの福音書には書いてないのですが、ヨハネはヨルダン川で洗礼を受けようとされるイエス様を見て大変恐縮して、「わたしの方が、あなたから洗礼を受けるべきなのに、どうしてわたしのところに来られたのですか」と尻込みしたことが書かれてあります。自分よりの優れた方が誰であり、その方の履物のひもを解く値打ちもないと言った方がイエス様であることをすぐに察したのです。

 

   ヨハネの迷い 
 ところがその後、不可解なことが起こります。それからイエス様は12人の弟子たちを従えてガリラヤ湖の周辺で宣教をなさるのですが、しばらくしてヨハネは自分の弟子二人をイエス様の下に遣わして、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(7:18〜)と尋ねさせます。今日のところでは「イエス様がメシア、キリストである」ということを確信しますが、しばらくすると、どうも自分の思い描いていたメシアと違うことをイエス様が教え、なさっているとヨハネは感じたのでしょう。確信が揺れ動くのです。
 しかしこのことは、ヨハネとイエス様の教えが、どこか異なっていたことを私たちに教えようとしていることとも言えるわけです。ヨハネは「悔い改めの洗礼」を説きましたが、イエス様も同じように「悔い改め」を説かれました。イエス様の宣教を始める第一声は「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ4:17)という言葉でした。「悔い改めよ」、ヨハネと同じです。でもどこか違う。その違いがどこにあるのか、これを掴むことはとても大切なことです。

 

   ヨハネとイエスの異なる教え 
 ヨハネもイエス様も「悔い改め」を説いたのですが、でも「悔い改めよ」と言った場所が違うのです。ヨハネは荒れ野でした。人のいないところです。宗教の共通点だと言っても良い。年の瀬が迫ると有名は歴史ある寺が映像に流れますが、厳しい修行をするような寺はたいてい山奥にあり、寒く、人里離れたところにあります。昔はもっとそうだったでしょう。俗世界にまみれていないところ、空気が澄んで汚れていないのと同じような穢れのないところにヨハネは暮らして、民衆もそこまでやって来ました。俗世界から離れて、ヨハネのいるところまでやって来ること自体が、「悔い改める」ということをすでにほとんでやっているようなものです。
 ヨハネは、自分のところにやって来たイエス様を見た時に、「この方こそ」と気づいたのです。でもその後イエス様は荒れ野で暮らされたのではありません。穢れのないようなところで「悔い改めよ」と言われたのでもなかった。きっとヨハネの迷いは、そういうところからもう始まっていたのです。
 じゃあイエス様はどこで宣教されたのでしょうか。荒れ野ではなかったし、またそういう聖なる場所に人々を招いたのでもありませんでした。イエス様の方が、いわば俗世界の中に入って行かれました。日常から隔てたところで「悔い改めよ」と言われたのではなく、人々が暮らす生活の場で教えられたのです。

 

   ヨハネとイエスの祈りの教え  
 このことにつながる箇所がルカの福音書にあります。読み落とし勝ちですが、主の祈りを弟子たちにお教えになるところです。11章1節ですが、こうあります。「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った。そこで、イエスは言われた」とあります。この後、私たちが知っている「主の祈り」のことが書いてあります。イエス様の弟子たちは、ヨハネの弟子たちがヨハネから教わっていた祈りのことが気になったのでしょう。もしかしたら張り合う気持ちになり、悔しい気もちになったのではないでしょうか。誰にでも、どこにでもあるような話です。隣りのことが気になるのです。ヨハネがどんな祈りを教えたのか分かりませんが、でも想像することはできます。厳しい祈りです。厳格で道徳的な祈り、荒れ野の砂漠ならではの、俗世界から距離を置くような祈りではなかったと私は想像します。
 ではイエス様は何と言われたか。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、』」。この出だしの「父よ」という言葉にもうヨハネとの違いが出ていると思います。このことをルターが『小教理問答』で語っていることが有名ですが、そこで「私たちは愛する子らが、その愛する父に願うように、安心して、あらゆる信頼をもって、神様に願うんだよ」と教えています。実際はルターは、当時のドイツ人の父親の多くのそうであったように、とても厳格で厳しい躾を父親から受けたようですから、自分自身は『小教理問答』で語るような父親であろうとしたようです。父親でも母親でも同じです。要は、幼児が両親を信頼して、安心して、何事かを願い求めることが「祈り」で一番肝心なことだとイエス様は弟子たちに教えたのです。ですから、「父よ」よりは「お父ちゃん、母さん、パパ、ママ」という言い方の方が相応しいのです。神様という方が、実に近くで、日常の生活の中で溶け込んでいる。そういう生活の場でイエス様は宣教されたし、そこで「悔い改めよ」と説かれたに違いなのです。ヨハネとは根本的に違うのです。

 

   ヨハネの洗礼とイエスの洗礼  
 今日のところには、ヨハネとイエス様の洗礼の違いも書いてありました。ヨハネは水で洗礼を授けているけれども、「その方は」、つまりイエス様は「聖霊と火で洗礼をお授けになる」(16節)とありました。「聖霊と火」という言葉は、どこか恐ろしさを感じてします。むしろ水の方が厳しさを感じないように思えるのです。
 そもそも「手に箕を持って」(17節)とありましたが、皆さんはお分かりでしょうか。若い世代はなお更ぴんとこない言葉です。そもそも目にすることがないからです。私も年齢を重ねて来まし、田舎で育ちましたから、どこか目にした記憶があります。「箕」と言うのは竹で編んだ大きなざるのようなものです。
 ある説教者が、イエス様の時代の麦の脱穀は「箕」というざるを使ってやることがあったのだろうと書いていました。ある程度手で穂を揉んで実を殻から出すのですが、全部綺麗にできるわけではありません。箕のざるにそれらを置いて、空中に放り上げるわけです。その時に風が吹く。そうすると軽い殻が向こうへ飛んで行きます。そうやって実と殻とを分けるのです。今「風が吹く」と言いましたが、「霊」という言葉は「風」という意味でもありますから、聖霊は風と考えてもいいのではないかとその説教者は言うのです。
 なるほどと思ったのですが、そうすると「殻」というものは私たちに付きまとう汚れや汚れ、いや罪と言ってもいいのだと私は考えました。イエス様が手に箕を持たれている。そこに私たちは置かれている。私たちは恐がることはない。しゃちほこ張ることもない。ルターが教えたように、私たちはイエス様を信頼して、安心して、自分の過ちや失敗、足らないもの、そういう罪というものをイエス様に告白し、後は委ねればいいのです。後はイエス様が手に箕を持って、私たちを聖霊の風の中に放り上げて、殻に譬えられる罪を吹き飛ばしてくて、それをすべて火で焼いて灰にしてくださるのです。そう受け取れば、聖霊と火の洗礼というものは実に恵み深いものに見えて来るのです。

 

    ヨハネから学ぶこと 
 さて、ここまでヨハネのやや足らざるところを、イエス様の教えと比べながら読んで来ましたが、しかしヨハネの名誉のためにも、ヨハネに対するイエス様の賛美を忘れてはいけません。それは「およそ女から生まれて者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」(7:28)という言葉です。イエス様への信頼に迷いを抱くことがあっても、しかしイエス様を指差し続けた人物だからです。これ程の人でしたから弟子たちを持ち、彼自身が称賛をあびるべき人でした。しかし彼は、自分に称賛の目が注がれることを嫌ったのです。神学者の間でもこれについては意見が分かれるようですが、しかし少なくともヨハネの福音書はヨハネがイエス様を指差した言葉として「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(3:30)と言ったことを記しています。これがヨハネの本当の偉大さです。私たちも生きる模範としなければならないと思うのです。
 最後に今日の前半部分に書かれてあったヨハネの教えに耳を傾けたいのです。ヨハネの下に集まって来た人たちがそれぞれに「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねたのです。それぞれの異なる立場、職業の人たちが同じ質問をしたのです。群衆には「食べ物や着る物を困っている人たちに分けてやりなさい」と、徴税人には「規定以上のものを取り立てるな」、兵士には「力に任せて金をゆすらず、自分の給与で満足せよ」ということでした。
 実に当たり前のことでした。しかしそれを実際に行うことが難しかったのです。私たちもそれは同じだと思います。食べ物や生活に窮している人がいれば、分け与えなさい、それが待降節を送っている私たちへの勧めです。例えば、クリスマスの寒い時期になると、生活に窮している人たちが世界中にももちろんのこと、私たちの近くにもいらっしゃることがなお更気になるのです。クリスマスの備えをするとは、まず人のことより、自身のことを振り返り、神様に素直に過ちや足らざることなど、罪を犯したことを認め、悔い改めることです。しかしそれだけでない。生活のために、生きるために様々な困窮に苦悩しているために、クリスマスの喜びに浸るまで届かない人たちがいるのです。助けを必要としている人たちのことを思い起こし、そのために手を差し伸べるということの何がしかを行うために備えをすることだと思うのです。至極自分にできる当たり前のことを、当然のこととして行うのです。残り少なくなったアドベントの時を今日の教えに相応しく過ごしたいと思います。 アーメン
                        (2021年12月12日) 

 

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 待降節第2主日の説教は、安田真由子姉(ルーテル神学校講師;都南教会会員)にしていただきました。

 

               道を備える

 

          〔聖書箇所〕 ルカ 3:1〜6

 

今日の聖書箇所で語られているのは、洗礼者ヨハネが、救い主イエスの到来に備えているということです。
イエスの降誕を待つアドベントに相応しい記事と言えるでしょう。

 

今日は、この聖書箇所から、「備えをして待つ」ということについて、ともに考えてみたいと思います。

 

今日の聖書箇所は、一見、洗礼者ヨハネとは関係のなさそうな、統治者たちの名前の一覧から始まります。
この名前一覧は、信仰を養うためのみことばという感じがせず、読み飛ばしてしまう方も多いかもしれません。今日の聖書箇所で、むしろ印象に残るのは、「荒野で叫ぶ者の声がする」という、イザヤ書の引用のあたりでしょうか。

 

「主の道を整えよ」というイザヤの言葉に続くのは、「主」の到来によって起こる未来のことです。山や谷など、でこぼこが平らに均されると語られますが、それはまるで人生の山や谷も穏やかになるかのような、平和、平等、救いのイメージです。
でこぼこが平らになる、救いの到来。明るい未来。
洗礼者ヨハネは、そのような未来のために備えをします。

 

そして、この明るい未来のイメージに先行するのが、冒頭の、名前一覧です。
実はこの名前一覧は、ヨハネのことを理解する上で、とても重要です。
まず、皇帝ティベリウス。彼はティベリウス・ユリウス・カエサルという皇帝で、イエスが「皇帝のものは皇帝に」と言うときも、この皇帝を指しています。
ポンティオ・ピラトは、みなさまご存知のとおり、イエスを十字架刑に処した張本人です。
ヘロデは、ヘロデ大王の息子で、大王の死後にガリラヤの領主になったヘロデ・アンティパスのことですが、ルカ福音書では、このヘロデとピラトは、イエスの処刑をめぐって責任の押し付け合いをしたのち、友人となります。
そして、大祭司アンナスとカイアファ。かれらは、イエスが逮捕されたあとに裁判を行った最高法院のメンバーで、カイアファはその議長でした。イエスの裁判は、大祭司カイアファの家で行われたのです。

 

ルカ福音書の書かれた時代には、イエスがここに名前の記された人たちの手によって処刑されたことは、周知の事実でした。
従って、この記事を読む人は皆、「イエスの到来を待つ洗礼者ヨハネ」の記事が、イエスを処刑した人々の名前から始まっていることに気がつくわけです。
これは、単に、救い主の到来を待ち望む、救いへの期待に胸がふくらむ、といった希望に満ちたお話ではないのです。
来るべき救い主は、最初から、殺される運命にある。
不穏な、嫌な予感がひしひしとしています。

 

このような舞台設定の中では、イエスの到来という明るいはずの未来にも、暗い影が落ちてしまい、イエスのために道を備える者としての洗礼者ヨハネの登場と活動も、意味のないことのようにさえ、思えてしまいます。

 

それでも、ヨハネは、自分が受け取った神の言葉に従って、備えをしていきます。
いったいどんな言葉を受け取ったのかはわかりません。
分かっているのは、彼が、「罪の赦しのための悔い改めの洗礼」を授けるため、ヨルダン川沿いの全ての地域に出かけていったということです。
これは、とても興味深いことだと私は思います。
救いの時がやってくることは、ヨハネにとっては、すなわち裁きの時の到来でもありました。そこで彼がしたのは、自分の救いを心配することなどではなく、他の人々へ心を配ることでした。
今日の聖書箇所の続きに出てきますが、どうも、彼の目に映る人々は、罪の赦し、つまり、悔い改めてきれいに洗われることが必要な状態でした。
おそらく、そこには、律法を守りたくても守れない人々、生きていくためにあまりよくないとされていることをしなければならない人たち、それゆえに差別されていた人たちが、いたことでしょう。
それは、イエスが福音を宣べ伝えた人たちと同じです。病人や、徴税人や、娼婦たち。
そういう人々がみすみす裁かれてしまうことが、ヨハネには、悲しかったのではないでしょうか。
だって、かれらは、好きで「罪人」になっているわけではありません。
むしろ、聖書箇所冒頭に出てくる権力者たちや、彼らの営む政治、社会の構造悪のせいで、「罪人」にさせられていたからです。
そこには、どれほどの痛みやつらさがあったでしょう。

 

ヨハネは、こういう罪人たちだって救われる価値がある、と信じたのでした。
だからこそ、彼は洗礼を授けるため、ヨルダン川の周りの地域に出かけていったのです。
彼は、人々と、どのような対話をしたでしょうか。
人々の痛みを、つらさを、分かち合ったでしょうか。
また、人々にとって、罪を洗い流してくれるヨハネは、どれほど頼もしく、またありがたい存在だったでしょうか。
私はヨハネのうちに、人を人として扱う姿勢、相手の尊厳を大切にする敬意のようなものを見出します。
それは、まさに、ヨハネのあとに続くイエスを予感させるものであり、ヨハネはイエスのための道備えを行っていたのです。

 

 

しかし、ヨハネは、その働きも虚しく、自身は首を刎ねられ、彼が歓迎の準備をしたイエスもやはり、処刑されてしまいます。今日の聖書箇所の統治者の名前が暗示したとおりです。
また、彼の死後およそ2000年経ったいまも、ヨハネが期待したような、人々がみな平等や平和を享受できるような救いは実現していません。

 

ヨハネが待ったこと、備えをしたことは、無駄だったのでしょうか。

 

私は、そうではないと思います。

 

ヨハネはおそらく、権力者たちの悪行もよく知っていましたし、彼らにとって不都合な人間は簡単に殺されてしまうことも、分かっていたでしょう。
また、救いや裁きがいつ、どういう形で来るかなんて、本当はわからなくて、不安でたまらないこともあったかもしれません。
それでもなお、ヨハネは、救いを待つ間にできることとして、罪人を尊厳ある人間として扱うこと、他者を大切にすることを選んだのでした。
これは、シンプルなようでいて、とても尊いことです。

 

この尊さをお伝えするために、最後にひとつ、私の話をさせてください。
シカゴ生活の終盤、2020年の夏のことでした。コロナの影響で授業がオンラインに切り替わるなど、様々な対策がなされる中、トランプ大統領は、オンラインで授業を受ける留学生がアメリカに留まる理由も資格もないと判断し、留学生を強制送還するようなビザ規制を行おうとしました。
このニュースは、実際に自分がオンライン授業を受けているか、教室で対面授業を受けているかにかかわらず、留学生を不安に陥れました。アメリカ政府、トランプ大統領がいつ、政策を変えて、自分たちの学生ビザを奪いにくるか分からない、そういう不安です。
ただでさえ、長きに渡るロックダウンや、夏の間のBLM運動など、精神的に疲れ果てているところに、この仕打ちです。
私は、学校の周辺で留学生とすれ違うたび、かれらの不安の声を聞きました。
中には、留学のために自国での仕事も家も手放してきたから、送還されたところで帰る場所などない、自分の生活はどうなってしまうのか、との声もありました。
そこで、私たちは、一度zoomでミーティングを開くことにしました。もちろん、集まって話したところで、何ができるわけでもありません。それでも、権力を前に無力な私たちにできることは、集まって、痛みを分かち合って、どういう結果が待ち受けているにせよ、それを受け止められるように、必死に手を取り合うことだけでした。
そこでは、アメリカ政府が、私たち留学生を人間として扱わないことで尊厳が傷つけられたことが語られました。そして、だからこそ留学生仲間たちが互いに、私たちの痛みや不安の声を受け止め合うことが、自分たちの尊厳を回復することにもなりました。
政府がどういう決断を下すのか、待つしかできないけれど、待つ間は、せめて互いを大切にする。ここで私が得たのは、癒しの体験でした。

 

ヨハネは、イエスの到来、救いの到来を待つ間、洗礼という罪の清めとともに、罪人たちの痛みを和らげるような、癒しのようなものを、与えていたのではないか、と私は想像します。

 

私たちもいま、いろいろなことを待っています。
イエス様の誕生はもちろん、コロナの終わりを、コロナによってもたらされた様々なダメージの回復を。
また、ここに集うお一人お一人も、それぞれに、心待ちにしていることや、辛抱して状況の改善を望みながら耐えていることが、あることでしょう。

 

待つというのは、不安定で、期待や不安の入り混じる、混沌としたものです。
それでもなお、私たちは、その不安の中、互いの痛みを分かち合う相手と手を取り合うとき、そこに、わずかな確かさを見出したり、するものです。
私たちは、イエスの誕生を待つ間、コロナの終わりを待つ間、さまざまなことをいろんな思いで待つ間、誰と、何を、どのように、分かち合うことができるでしょうか。

 

                        (2021年12月5日) 

 

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